日本歴史地名大系 「埼玉村」の解説 埼玉村さきたまむら 埼玉県:行田市埼玉村[現在地名]行田市埼玉北は長野(ながの)村、西は佐間(さま)・渡柳(わたりやなぎ)・利田(かがた)の三村。忍(おし)城下から中山道鴻巣宿への往還が北西から南東に貫く。洪積層微高地に位置し、埼玉古墳群の地であり、地区内の古代遺跡は三〇ヵ所にのぼる。文政―天保期(一八一八―四四)の景観について「増補忍名所図会」は、当村一帯に「小き山形のもの凡四五十ケ処も有、ことに当村に有物は大なるが多し、里俗これを百塚といふ」と述べ、出土遺物についても触れている。「風土記稿」は「和名抄ニ載スル所、郡郷共ニ佐以多万ト註ス、万葉集、佐吉多万又前玉トモ載ス、今土人ハ郡ヲサイ玉ト唱ヘ、村名ヲサキ玉トイヘルハ、唱ヲ以テ分ルナルベシ」と郡名と村名の読み方の違いを述べ、「武蔵志」も村名を「埼玉サキタマ」「但郡名ヲハサヒタマト唱フ」と同様のことを記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by