日本歴史地名大系 「堀株村」の解説 堀株村ほりかつぷむら 北海道:後志支庁泊村堀株村[現在地名]古宇(ふるう)郡泊村大字堀株村字茶津(ちやつ)・字ヘロカル臼(うす)・字滝の澗(たきのま)明治初年(同二年八月―同六年の間)から同一五年(一八八二)まで存続した岩内(いわない)郡内の村。渋井(しぶい)村の南に位置し、南部は堀株川の河口域となっている。明治四年の「春日紀行」に堀株および「茶知内」がみえ、茶津内(ちやつない)港について「商船五艘ヲ繋ク鰊漁多キカ故ニ宿舟常ニ絶ヘス。近来茅沼ノ煤ヲ輸転スル処ノ舶此地ニ繋クノ策アリ。良港ナレトモ一艘ニ過ス而モ港前礁石多ク入津ニ煩シ」と記される(同年六月四日条)。 堀株村ほりかつぷむら 北海道:後志支庁泊村堀株村明治一五年(一八八二)から同四二年まで存続した古宇(ふるう)郡内の村。明治一五年六月渋井(しぶい)村を合併、新たに堀株村となる。このとき一部は発足(はつたり)村・梨野舞納(りやむない)村(現共和町)として分立する。同一六年堀株村戸長役場が設置される。同二二年曹洞宗大雄(たいゆう)寺創立。同二四年調の「徴発物件一覧表」では戸数九四、男三一二・女二五七、官廨一、倉庫三〇、厩三、学校一、艀漁小廻船一四六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by