日本歴史地名大系 「泊村」の解説
泊村
とうまいむら
- 沖縄県:那覇市
- 泊村
トゥマイと発音する。
英祖王五年(一二六四)に久米島・
景泰二年(一四五一)尚金福王は当時浮島とよばれていた那覇を陸地と結ぶため、国相懐機に命じて泊村の東、安里川に架かる
泊村
とまりむら
日本海に突出する
万延元年(一八六〇)年貢を「御名人御切手」をもって蔵納したいと願っているが、その願書のなかで畑作・海稼および宿・浦手御用により生計を立て、年貢は正米買付によって上納してきたと述べている(在方諸事控)。文久二年(一八六二)当地清八宅に大坂の万歳芸者栄三郎一行が逗留した(「取調口書」谷田家文書)。
泊村
とまりむら
近世から明治初年まで存続した村。
寛永一〇年(一六三三)七月に西海岸を訪れた幕府巡見使一行は、同月一〇日に松前を出発しヱラ町(現松前町)、
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
- 福岡県:前原市
- 泊村
泊村
とまりむら
- 富山県:氷見市
- 泊村
東は富山湾に面し、北は
泊村
とまりむら
下北半島基部の
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図には泊村、無処務とあって、無年貢地であった。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」では蔵分一六石余と荒地の郡分郷村高書上二〇・一石余があった。馬二〇疋を飼養し、家数五七。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数六四とある。藩政期末の「北奥路程記」には北の村境辺りの
泊村
とまりむら
- 北海道:根室支庁
- 泊村
大正一二年(一九二三)
泊村
とまりむら
- 北海道:後志支庁
- 泊村
明治四二年(一九〇九)四月、泊村・
泊村
とまりそん
- 鳥取県:東伯郡
- 泊村
東伯郡の最東端に位置し、東は
縄文・弥生時代の遺跡が数ヵ所に分布するが、なかでも昭和八年(一九三三)
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
泊村
とうまいむら
泊村
とまりむら
泊村
とまりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報