日本大百科全書(ニッポニカ) 「壕越二三次」の意味・わかりやすい解説
壕越二三次
ほりこしにそうじ
生没年不詳。歌舞伎(かぶき)作者。二三治とも。俳名菜陽(さいよう)。大坂下りの名優初世沢村宗十郎(そうじゅうろう)門下で、江戸の名優市川団十郎の本姓堀越(のちに壕越と改める)を名のって人気作者となり、同門の藤本斗文(とぶん)とともに宝暦(ほうれき)期(1751~64)の江戸作者を代表した。常磐津(ときわず)所作事の先駆者として『芥川紅葉柵(あくたがわもみじのしがらみ)』などを書く。時代狂言のなかに世話の趣向を取り込み、語物(かたりもの)の様式的なことばのなかに俗語を配した「菜陽風」を確立。通人や戯作(げさく)者に呼応した文人気質をもつ。『将門装束榎(まさかどしょうぞくのえのき)』など当り狂言の名が多く伝わるが、台本は『由良千軒蟾兔湊(ゆらせんげんつきのみなと)』など二作が残るのみ。晩年剃髪(ていはつ)して一時劇界を退くが、隠居格の作者として復帰し、1781年(天明1)以後消息を絶つ。門下に初世桜田治助(じすけ)がいる。
[古井戸秀夫]