多布施村(読み)たふせむら

日本歴史地名大系 「多布施村」の解説

多布施村
たふせむら

[現在地名]佐賀市多布施一丁目・二丁目・四丁目一帯

文化一四年(一八一七)の郷村帳によれば多布施東分(小路・大島・高岸・城之元・岸川町裏)と多布施下村(新宿・精町・長瀬町裏)の二ヵ所に分けて記載されている。天保郷帳の多布施村は、これらから高岸たかぎし村の地域を除いた多布施川の東側一帯を中心とする地域と考えられる。すなわち現在の多布施一丁目・同二丁目・同四丁目付近である。鍋島直茂の隠居所があり、隠居料として小城鍋島家の元茂に与えられていたが、城下に近いこともあって元和七年(一六二一)佐賀本藩の蔵入地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む