改訂新版 世界大百科事典 「鍋島直茂」の意味・わかりやすい解説
鍋島直茂 (なべしまなおしげ)
生没年:1538-1618(天文7-元和4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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安土(あづち)桃山・江戸前期の武将。肥前の土豪鍋島清房(きよふさ)の長男。1541年(天文10)春に小城晴気(おぎはるけ)城主千葉胤連(たねつら)の養子となるが、51年に千葉家を辞し佐嘉(さが)(佐賀)に帰る。のち龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)に仕え各地を転戦、84年(天正12)に隆信が島津・有馬軍との戦いで敗死したことにより、龍造寺体制内で指導性を発揮し、しだいに実権を掌握する。豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮出兵令による参戦で肥前佐嘉領の統轄者としての地位を確定した。関ヶ原の戦いで嫡子勝茂が西軍に属したため、戦後、領地保持のため僧元佶(げんきつ)などを頼り、筑後(ちくご)柳河(やながわ)の立花氏を討つことで没収を免れた。1610年(慶長15)に隠居した。元和(げんな)4年6月3日没。
[長野 暹]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…伊万里湾に注ぐ有田川上流の狭い山間に位置する。窯業の起源は文禄・慶長の役の際,藩祖鍋島直茂が多数の朝鮮陶工を伴って帰国し,その一人李参平が上白川天狗谷で日本最初の白磁器を焼成したのに始まる。その後正保年間(1644‐48)南川原(なんがわら)山の酒井田柿右衛門一族が赤絵付法を完成し有田焼の名を広めた。…
…戦国期に肥前地域は竜造寺隆信が一応支配したが,1584年(天正12)の島原での敗死により,竜造寺氏から鍋島氏へと実権が移った。鍋島直茂は実権確立に際して豊臣秀吉や徳川家康との関係を強め,統一権力の力を利用しながら領内の統御を進めた。関ヶ原の戦では西軍に属したため,戦後不利な立場に置かれたが,閑室元佶のとりなしにより筑後柳河の立花宗茂の攻撃などを条件に領土が安堵された。…
…これには次の史的背景がある。1584年(天正12)の竜造寺隆信の死後,嫡子政家が凡庸なため肥前国統治の実権は鍋島直茂の手に移る。政家の嫡子高房は憤慨して1607年(慶長12)22歳で自殺した。…
※「鍋島直茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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