LPGガス,石炭,重油などを燃料とし,燃焼した火炎が天井によって反射するように曲げられて金属を加熱溶解,製錬する炉。高炉が出現する以前には製錬用の炉として使用されてきたが,現在では,銅,アルミニウム,およびそれらの合金,可鍛鋳鉄などを大量に溶解する場合に広く採用されている。特徴は,一度に大量の溶解ができること(鋳鉄ではふつう1チャージ15~40tくらい),電気炉に比べて各種経費が安いこと,鋳鉄においては炭素量の少ない溶湯が得られることなどである。炉内雰囲気,温度などの調節も最近は比較的容易になり,二重溶解炉の前炉としても用いられている。またオイル・ショック以後は省エネルギー化を進め,炉壁材料をセラミックファイバーなどに変え,また廃ガスの利用によって熱効率が著しく向上している。
日本においては江戸時代末期に製鋼用の反射炉が築造された。幕府および各藩は海防充実の必要性を痛感し,青銅に代わって鋼の大砲を作りはじめた。反射炉はその製鋼用に用いられ,1850-51年(嘉永3-4)に早くも佐賀藩が建設し,薩摩藩(1852-57建設),水戸藩(1854-56建設),南部,長州,土佐の各藩でも建設を計画または着手した。最も有名な伊豆韮山(にらやま)の反射炉は1853-58年(嘉永6-安政5)に江川太郎左衛門によって建設されたものである。
執筆者:梅田 高照
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金属の製錬や溶融に用いる炉の一種で、高温の燃焼ガスなどを炉内に送り装入物を加熱する。炉天井に蓄熱してその輻射(ふくしゃ)熱を利用するところからこの名がある。その特徴は、熱源が内容物と別の場所にあるため、燃料の種類を問わないことで、反面、直接熱効率は低く、ボイラーによる廃熱回収を行うのが通例である。
パドル炉とよばれる初期の反射炉は、製鋼用として用いられた。日本でも江戸末期各地につくられた反射炉はこの型のもので、大砲鋳造用の青銅を溶解するのに用いられた。江川英龍(ひでたつ)(太郎左衛門)が伊豆韮山(にらやま)に建設した(1858)反射炉がもっとも有名である。
製鋼用反射炉としては、現在の転炉が主力となるまで世界中で広く用いられた平炉がある。平炉は、炉の両側に大量のれんがを積んだ蓄熱室をもち、ガスの流れ方向をときどき切り換えて熱効率の向上を図っている。
銅製錬で用いる反射炉は、長大な炉の一端には数多くのバーナーを並べ、銅鉱石を溶融するとともに一部酸化反応も行う。1300℃を超える大量の排ガスの熱は、ボイラーで蒸気あるいは電力として回収される。炉天井は高級れんがの吊天井(つりてんじょう)としてあり、操業しながら交換、修理が可能である。
このような製錬用のほか、銅、アルミニウムなど金属・合金の溶融炉としてもよく用いられる炉である。
[阿座上竹四]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
非鉄金属の製錬に用いられる炉.平らで炉長の長い形状をしており,天井はアーチ形で炉短辺の一端にバーナーを備え,燃料を燃焼させ長い炎を出す.熱は直接または天井から反射し装入物を溶かす.装入は長辺に沿う天井の両側から行い,湯を炉床一面にたたえ,両側の窓から添加物を加えながら製錬を行う.装入は主として火口端に近い半分で行い,ここが溶錬部をなし,煙道端よりの残り半分はスラグや金属のたまり場となり,とくに前床はつけない.炉材はシリカまたはマグネシアれんがで,スラグ水準が侵されやすいので,ここに水ジャケットをつけることもある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
金属の溶解・精錬に用いる炉。幕末期に鉄製砲鋳造のために建設され,鉄鋼業近代化の端緒として象徴的意味をもつ。燃料と金属材料を別の区画に装入し反射熱によって金属を溶解する炉。ヨーロッパでは古くから用いられたが,18世紀イギリスで改良され鉄鋼増産の主役となった。1850年(嘉永3)佐賀藩でオランダ語の技術書を参考に建設され,67年(慶応3)までに約200門以上の青銅砲とほぼそれに近い鉄製砲が製造された。佐賀藩の2カ所をはじめ薩摩・韮山(にらやま)・水戸など計11カ所で建設され,うち4カ所は民間経営だった。これにより原料銑(ずく)の質や大量入手の重要性が認識され,高炉による銑鉄の生産が促進された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…外圧への対応のため長崎警衛の体制を強固にするため軍事改革に重点を置いた施策が行われた。50年(嘉永3)10月に佐賀築地に反射炉を建設し大砲の鋳造を開始した。大砲の鋳造は蘭書の翻訳,鋳工や刀工の経験などが総合的に活用され,52年に実用に耐える鋳立ができるようになった。…
…しかしその端緒はすでに,開港前後の幕府,諸藩の政策のなかにあらわれていた。たとえば鹿児島藩では1830‐40年代(天保・弘化期)の藩政改革ののち,集成館の造船・造機工場や洋式綿糸紡績所などの操業が開始され,諸藩や幕府でも反射炉,溶鉱炉,造船所の建設や国産振興,専売制度,交易拡大などの政策が,緊迫した内外の政局のなかで積極的に進められた。諸藩の産物会所や幕府の神戸商社(1867年設立)のほか,佐賀藩,鹿児島藩,水戸藩,盛岡藩,韮山代官所などの反射炉や溶鉱炉,長崎,横浜,横須賀の幕営製鉄所(造船・造機工場),鹿児島紡績所と奄美の製糖工場(鹿児島藩)などは,その代表的な例である。…
… 錬鉄製造にも革命のときがきた。H.コートが従来の木炭精錬炉に代わって,すでに鉄の鋳造に利用されていた石炭たきの反射炉を銑鉄を錬鉄に変える炉にすることに成功したのである。ロストル(火格子)で自然送風によって石炭を燃やし,できる長い炎は火橋を越えて溶解室の銑鉄を溶かし,煙突に抜ける。…
…これらの藩営工場では多くの人々がそれぞれ仕事を分担し,協力して働いていた。たとえば薩摩藩では,幕末の深刻な対外危機に対処するため藩主島津斉彬を中心に藩政改革を実施し,その一環として城内に反射炉を建設し,ついで溶鉱炉やガラス,陶磁器,農具,地雷,ガス灯などの各種製作所を設け,のちにこの場所は集成館と呼ばれてその規模を拡大し,1日に1200人を超す職工・人足が働いていた。佐賀藩でも幕末には反射炉を設け,さらに造船,鋳砲を目的に藩営工場を建設し,あるいは土佐藩でも開成館事業の一環として各種の藩営工場を計画し,これらは日本における近代工場創出の基盤ともなった。…
※「反射炉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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