多忠基(読み)オオノ タダモト

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「多忠基」の解説

多 忠基
オオノ タダモト


職業
雅楽師 バイオリニスト

専門
笛,バイオリン

肩書
宮内省式部職雅楽長

生年月日
明治2年 12月

出生地
京都府

経歴
多自然麻呂以来の連綿と続く宮廷楽人の正統。明治12年宮内省式部寮雅楽課に務め、31年東京音楽学校講師。のち式部職雅楽長となった。和洋音楽通じ、笛、バイオリンに優れ、管弦楽をたびたび指揮するなど出色の宮廷楽人として活躍

没年月日
大正11年 7月11日 (1922年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「多忠基」の解説

多 忠基
オオノ タダモト

明治・大正期の雅楽師,バイオリニスト 宮内省式部職雅楽長。



生年
明治2年12月(1870年)

没年
大正11(1922)年7月11日

出生地
京都府

経歴
多自然麻呂以来の連綿と続く宮廷楽人の正統。明治12年宮内省式部寮雅楽課に務め、31年東京音楽学校講師。のち式部職雅楽長となった。和洋の音楽に通じ、笛、バイオリンに優れ、管弦楽をたびたび指揮するなど出色の近世宮廷楽人として活躍。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多忠基」の解説

多忠基 おおの-ただもと

1870*-1922 明治-大正時代の雅楽家。
明治2年12月生まれ。12年宮内省式部寮雅楽課にはいる。のち東京音楽学校(現東京芸大)講師などをへて雅楽長にすすむ。和洋音楽に通じ,笛,バイオリンを得意として管弦楽団も指揮した。大正11年7月11日死去。54歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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