日本歴史地名大系 「多田院村」の解説 多田院村ただいんむら 兵庫県:川西市多田院村[現在地名]川西市多田院多田所町(ただいんただどころちよう)・多田院一―二丁目・多田院西(ただいんにし)一―二丁目・緑台(みどりだい)・向陽台(こうようだい)・水明台(すいめいだい)・けやき坂(ざか)・清和台西(せいわだいにし)・清和台東(せいわだいひがし)・新田(しんでん)二丁目・多田院西多田村の北、猪名(いな)川左岸に位置する。多田院があり、摂津源氏ゆかりの多田庄があった。慶長国絵図に「上野条村」と記されるのが当村で、高二九三石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では「多田院村」とある。領主の変遷は、文禄四年(一五九五)片桐且元領、元和元年から幕府領、寛永一七年(一六四〇)摂津高槻藩領、寛文二年(一六六二)幕府領、同五年多田院社領となり、明治に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by