古代の
これより先、経基王の子源満仲は多田の地に本拠を構え、天禄元年(九七〇)多田院を開創した(歴代編年集成)。その頃の多田館周辺は、検非違使も入れない地域であったことは「雑筆要集」所載の文書例文で知られる。おそらく満仲の武力によって支配する私領で、一族郎党の本拠を据えたものと思われる。満仲は寛和二年(九八六)多田で出家したことは「今昔物語」巻一九の説話で有名であるが、その説話からかなり組織だった一族郎党を率いていたことがうかがわれる。ただし説話を満仲当時のものとみるのは疑問とする説もあるが、満仲が多田に本拠を据えたことから源氏の武士団が成長したことは事実で、多田はまさしく源氏発祥の地といえる。満仲は長徳三年(九九七)に没したが、おそらく多田で没したと考えられ、多田院に廟所が営まれ、以後長く源氏の祖廟として信仰された。長和三年(一〇一四)満仲の次男頼親は「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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