大久保前町(読み)おおくぼまえまち

日本歴史地名大系 「大久保前町」の解説

大久保前町
おおくぼまえまち

[現在地名]新宿区余丁町よちようまち

大久保四丁おおくぼよちよう町の通りに面する片側町。四方を旗本屋敷に囲まれ、西は表高家長沢氏の下屋敷。当地は古くは市谷いちがや村の百姓地で、その後年代は不詳ながら小宮山伝三郎の屋敷となった。同氏屋敷移転後の元禄一二年(一六九九)中野なかの御園(現中野区)下役の安田忠左衛門・小坂八太夫・才戸孫次郎の三人の拝領地となって町屋家作が許可され、正徳三年(一七一三)町奉行支配となった。大久保前町の名は町の南西の方が一円大久保村であることに由来するという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む