現新宿区の東部にあたり、市ヶ谷・一谷・一ヶ谷とも記した。中世には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都新宿区東部の地名。市ヶ谷とも書く。旧牛込区の範囲内にあり,近世には大名・武家屋敷や寺が多く,明治以後,尾張藩上屋敷跡は,陸軍士官学校,大本営陸軍部,陸軍省,参謀本部などが置かれ,第2次世界大戦後は極東国際軍事裁判所,現在は陸上自衛隊市谷駐屯地となり市谷本村町一帯を占めている。市谷谷町(のち台町)には市ヶ谷監獄(1875-1910)が,また南西隣の市谷富久町には東京監獄(1903-37,のちの市ヶ谷刑務所)が置かれた。大日本印刷をはじめ印刷・出版関係の事業所が多い。
執筆者:正井 泰夫
近世には江戸城西北地域の称で,東は江戸城外堀で限られ,南は四谷,西から北へは牛込に続く。地名の由来は,古く市の立った地で市買から転じたといい,またこのあたりに四つの谷があり,その一の谷(長延寺谷)にちなむともいう。地名の初出は戦国期の史料《小田原衆所領役帳》である。江戸初期の市谷村の村高は43石余であったが,1623年(元和9)外堀沿いに田町1~4丁目が成立したのをはじめ,56年(明暦2)尾張藩の広大な上屋敷が置かれるなど開発が進んだ。市谷八幡は初め太田道灌により番町にまつられ,寛永年間(1624-44)に当地に移り門前に八幡町が起立した。境内に時の鐘があり,樹木多く茶屋,料亭,楊弓店もあって遊覧地としてにぎわった。1827年(文政10)の史料によれば,田町,八幡町のほか本村町,船河原町,左内坂町,長延寺門前など当地域内の町数30,総家数約1500軒(地主・家持136,地守・家守96,地借169,店借1111,明店8)であった。
執筆者:松崎 欣一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都新宿区東部の一地区。古くこのあたりに市が立ち、市買(いちがい)が行われたこと、また坂や谷の多い山手(やまのて)台地にあって第一の谷(一谷(いちがや))があったことが地名の由来という。江戸時代には寺社地、武家地が多かった。台地東端、JR中央線市ケ谷駅西側の市谷八幡(はちまん)は江戸八所八幡の一つ。旧尾張(おわり)徳川家上屋敷地跡は、明治になって陸軍士官学校などが置かれ、第二次世界大戦後、国際軍事裁判所、ついで陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地となった。都営地下鉄新宿線、東京地下鉄有楽町線・南北線が通る。
[沢田 清]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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