市谷(読み)イチガヤ

デジタル大辞泉 「市谷」の意味・読み・例文・類語

いちがや【市谷】

《「市ヶ谷」とも書く》東京都新宿区東部の地名。市谷本村ほんむら町・市谷砂土原さどはら町・市谷八幡はちまん町などの町名がある。江戸時代は寺社・武家屋敷地で市ヶ谷見付みつけがあった。現在は防衛省陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地航空自衛隊市ヶ谷基地などが所在。

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日本歴史地名大系 「市谷」の解説

市谷
いちがや

現新宿区の東部にあたり、市ヶ谷・一谷・一ヶ谷とも記した。中世には荏原えばら郡牛込郷内であったか。正和元年(一三一二)八月一一日に「武蔵国金曾木彦三郎重定並市谷孫四郎等所領」が将軍家より鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されている(「将軍守邦親王寄進状」鎌倉国宝館鶴岡八幡宮文書)。市谷孫四郎は金曾木氏と並記されており、江戸氏一族であった可能性が高い。中世市谷の中心長延寺ちようえんじ(近世の江戸城外堀)に面する市谷亀岡かめがおか八幡宮は、太田道灌の勧請と伝えるが、むしろ当地が鶴岡八幡宮領であった鎌倉時代の創建か。永禄五年(一五六二)一一月一三日には江戸城代太田景資が江戸法恩ほうおん寺に「市ケ谷之内梶原三河」の抱地などを寄進しており(「太田景資判物写」法恩寺文書)、当地には江戸衆梶原氏の所領があった。

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改訂新版 世界大百科事典 「市谷」の意味・わかりやすい解説

市谷 (いちがや)

東京都新宿区東部の地名。市ヶ谷とも書く。旧牛込区の範囲内にあり,近世には大名・武家屋敷や寺が多く,明治以後,尾張藩上屋敷跡は,陸軍士官学校,大本営陸軍部,陸軍省,参謀本部などが置かれ,第2次世界大戦後は極東国際軍事裁判所,現在は陸上自衛隊市谷駐屯地となり市谷本村町一帯を占めている。市谷谷町(のち台町)には市ヶ谷監獄(1875-1910)が,また南西隣の市谷富久町には東京監獄(1903-37,のちの市ヶ谷刑務所)が置かれた。大日本印刷をはじめ印刷・出版関係の事業所が多い。
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近世には江戸城西北地域の称で,東は江戸城外堀で限られ,南は四谷,西から北へは牛込に続く。地名の由来は,古く市の立った地で市買から転じたといい,またこのあたりに四つの谷があり,その一の谷(長延寺谷)にちなむともいう。地名の初出は戦国期の史料《小田原衆所領役帳》である。江戸初期の市谷村の村高は43石余であったが,1623年(元和9)外堀沿いに田町1~4丁目が成立したのをはじめ,56年(明暦2)尾張藩の広大な上屋敷が置かれるなど開発が進んだ。市谷八幡は初め太田道灌により番町にまつられ,寛永年間(1624-44)に当地に移り門前に八幡町が起立した。境内に時の鐘があり,樹木多く茶屋,料亭,楊弓店もあって遊覧地としてにぎわった。1827年(文政10)の史料によれば,田町,八幡町のほか本村町,船河原町,左内坂町,長延寺門前など当地域内の町数30,総家数約1500軒(地主・家持136,地守・家守96,地借169,店借1111,明店8)であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「市谷」の意味・わかりやすい解説

市谷
いちがや

東京都新宿区東部の一地区。古くこのあたりに市が立ち、市買(いちがい)が行われたこと、また坂や谷の多い山手(やまのて)台地にあって第一の谷(一谷(いちがや))があったことが地名の由来という。江戸時代には寺社地、武家地が多かった。台地東端、JR中央線市ケ谷駅西側の市谷八幡(はちまん)は江戸八所八幡の一つ。旧尾張(おわり)徳川家上屋敷地跡は、明治になって陸軍士官学校などが置かれ、第二次世界大戦後、国際軍事裁判所、ついで陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地となった。都営地下鉄新宿線、東京地下鉄有楽町線・南北線が通る。

沢田 清]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市谷」の意味・わかりやすい解説

市谷
いちがや

東京都 23特別区の一つ,新宿区の東部にある地区。皇居の北西に位置する。外堀に面した台地上にあり,江戸時代の社寺が多い。旧尾張藩徳川家の上屋敷は明治以後陸軍の施設となった。防衛省があるほか,出版社,印刷会社も多数ある。 JR中央線,総武線の市ヶ谷駅は千代田区に属し,都営地下鉄新宿線,東京地下鉄有楽町線,南北線と連絡。

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