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大倭長岡 やまとのながおか

世界大百科事典 第2版の解説

やまとのながおか【大倭長岡】

689‐769(持統3‐神護景雲3)
奈良時代の法律家。もと大倭小東人。五百足の子。若くして刑名の学を好み,716年(霊亀2)入唐請益し,法律上の疑問点を解決し,当時法令をいうものは皆長岡にただしたという。養老律令の修定事業に加わり,田4町を下賜された。737年(天平9)外従五位下に叙され,後に正四位下にまで昇叙されている。738年に刑部少輔に任官。その後摂津亮,参河守,紫微大忠,民部大輔,河内守等を歴任し,明法博士にも任官している。河内守時代には政仁恵なく,吏民うれえたとある。

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世界大百科事典内の大倭長岡の言及

【删定律令】より

…日本古代の法典。〈さんていりつりょう〉とも読む。24条よりなり,769年(神護景雲3)吉備真備,大和(倭)長岡らが撰し,791年(延暦10)施行され,812年(弘仁3)停止された。日本における体系的な律令法典の編纂は大宝律令につぐ養老律令で終わり,その後の律令法の部分的改正は法典そのものを改めることなく,詔,勅などで公布される単行法令すなわち格(きやく)によって行われたが,この删定律令は24条という限られた条文についてではあるが,養老律令の条文そのものを修訂したものと推定される。…

【留学】より

…しかし701年(大宝1)の遣唐使が派遣されるころから,留学生のほとんどは唐に渡った。とくに717年(養老1)に出発した遣唐使には吉備真備(きびのまきび),阿倍仲麻呂玄昉(げんぼう),大倭長岡(やまとのながおか)らが随行し,彼らの学業は長安でも高く評価されたという。仲麻呂はついに帰国できなかったが,真備らは大量の書籍や楽器などを持ち帰り,唐の文化の本格的な摂取の段階に入った。…

※「大倭長岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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