律令(読み)リツリョウ

  • りつりょう ‥リャウ
  • りつりょう〔リヤウ〕
  • りつれい
  • 律▽令

百科事典マイペディアの解説

東アジア古代統一国家の法典。格式(きゃくしき)とあわせ,〈律令格式〉の4語が成文法の体系を意味する。律は刑法に,令は行政法などに相当。中国で古くから発達,秦(しん)・漢に律,南北朝に令が現れ,隋・唐で発達の頂点に達した。おもなものに隋の開皇・大業,唐の武徳・貞観・永徽・開元などの各律令があり,律は開元25年(737年)度のものが《唐律疏議(そぎ)》として残り,令は散逸したが仁井田陞(にいだのぼる)の《唐令拾遺》に集成された。日本でも唐代のものにならい,7世紀後半〜8世紀前半に近江(おうみ)・飛鳥浄御原(あすかきよみはら)・大宝(たいほう)・養老の律や令が制定された。養老の令約1000条は大半が《令義解(りょうのぎげ)》《令集解(りょうのしゅうげ)》として,律約500条は一部が残存。古代の朝鮮諸国やベトナムでも編纂(へんさん)されたというが,条文が残っていないため内容は未詳。
→関連項目狩谷【えき】斎刑法政事要略賤民養老律令律令制度

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 古代国家の基本法である律と令。律は禁制法規であって、すべからざることとそれに違反した場合の刑罰を定め、令は教令法規であって、すべきことを挙げる。また、それぞれ、律法典・令法典をさすこともある。日本の律令は唐のそれに日本の国情を考慮して作られたもので近江令、飛鳥浄御原律令を経て大宝律令に至り法典として完成したが、これは失なわれて伝わらない。大宝律令に字句の訂正を加えた養老令大部分養老律の一部が伝わる。りつれい。
※続日本紀‐大宝元年(701)八月癸卯「遣三品刑部親王〈略〉伊余部連馬養等、撰定律令
※西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉二「『コード・ナポレオン』と称する律令も此時に定たるものなり」
[補注]唐の法典などをさす場合は漢音で「りつれい」と読むことが多い。
〘名〙
① (「れい」は令の漢音) =りつりょう(律令)
※近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房〉八「自から古来の律令(リツレイ)ありと雖も」 〔史記‐蕭相国世家〕
② 明治憲法下で、台湾総督が発した命令。法律と同一の効力を有した。〔台湾に施行すべき法令に関する法律(明治三九年)(1906)〕

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世界大百科事典内の律令の言及

【養老律令】より

…しかし律は,一部が残されているにすぎない。701年(大宝1)制定・施行の大宝律令についで編纂されたもので,藤原不比等(ふひと)が主導し,矢集蟲麻呂(やずめのむしまろ),陽胡真身(やこのまみ),大倭小東人(やまとのこあずまひと),塩屋古麻呂(しおやのこまろ)(吉麻呂とも),百済人成(くだらのひとなり)が編纂に従事した。この編纂については,今日,(1)不比等の私的事業として行われたとする学説と,(2)律令の編纂・公布には,新しい国家体制を創造するという目的主義的な場合と,その制定・公布権を自己の皇統に伝えるという個人的な目的による場合とがあり,養老律令は後者の立場から,元明太上天皇と不比等が,文武天皇の皇子であり不比等の孫でもある首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)のもとで新律令を公布させるために編纂されたとする学説の,二つの見方がある。…

【律令格式】より


【中国】
 律・令・格・式なる4種の法典は歴代の政府が発布した六法全書のごときもので,古くは戦国時代に淵源し,唐代に至って最も完備されたが,宋以後変化が起こり,あるいはその重要性を失って新出の法典に座を譲り,あるいは形式名称を変えて旧面目を失うものが多いなかに,ただ律は明代に復興して大明律となり,さらに大清律となって清朝末期にいたった。 現今目睹しうる最古の刑法である律は秦律であり,1975年湖北省雲夢県の睡虎地で秦代の墓から1000余枚の竹簡を発見した中に,占卜書2種を除くほかはおおむね政治,法律に関する文書であり,数種類の秦律が含まれていることがわかった(睡虎地秦墓)。…

※「律令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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