日本歴史地名大系 「大前田村」の解説 大前田村おおまえたむら 群馬県:勢多郡宮城村大前田村[現在地名]宮城村大前田現宮城村の南端に位置し、神沢(かんざわ)川が流れる。永禄四年(一五六一)新居長重は三夜沢(みよさわ)赤城神社に大足(おおあし)の田三反を寄進しているが(一〇月二日「新居長重寄進状」奈良原文書)、当地の小字名に大足がある。寛文郷帳では田方三一八石余・畑方七二石余、前橋藩領。元禄二年(一六八九)の検地帳および新田検地帳(宮城村役場蔵)によれば本田持人数一一〇(うち屋敷のみ四)。江戸時代を通して新田開発が活発に行われ、寛文四年(一六六四)以前に四〇町八反余(一五六石余)、うち田方五町五反余(四三石余)・畑方三五町二反余(一一二石余)が開発された。さらに宝永八年(一七一一)の新田検地帳(同役場蔵)によれば、元禄一一年―宝永三年間に二六町一反余(七五石余)、うち田方二町一反余(八石余)・畑方二三町九反余(六六石余)が開発されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by