日本歴史地名大系 「赤城神社」の解説
赤城神社
あかぎじんじや
赤城神の史料上の初見は「続日本後紀」承和六年(八三九)六月甲申条で、「奉授上野国无位抜鋒神、赤城神、伊賀保神並従五位下」とある。この後「三代実録」貞観九年(八六七)六月二〇日条、同一一年一二月二五日条、同一六年三月一四日条、元慶四年(八八〇)五月二五日条にみえるがいずれも神位昇叙の記事で、元慶四年には従四位上になっている。なおこのときの神名の表記は赤城沼神あるいは赤城石神と沼と石の字がついている。「延喜式」神名帳には勢多郡では赤城神社のみ載り名神大社、
六国史等に名が出る赤城神、赤城神社を祀った氏族は当時の上野国を代表する豪族上毛野氏一族と推定されている。その居所は勢多郡衙の地と推定される現
赤城神社
あかぎじんじや
赤城神社
あかぎじんじや
赤城神社
あかぎじんじや
赤城神社
あかぎじんじや
赤城神社
あかぎじんじや
赤城神社
あかぎじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報