大和雪原(読み)ヤマトユキハラ

デジタル大辞泉 「大和雪原」の意味・読み・例文・類語

やまと‐ゆきはら【大和雪原】

《「やまとせつげん」とも》白瀬のぶ率いる南極探検隊(白瀬隊)が、明治45年(1912)に到達・命名した地。南緯80度5分、西経156度37分付近。実際には南極大陸ではなく、ロス棚氷一部

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和雪原」の意味・わかりやすい解説

大和雪原
やまとゆきはら

日本最初の南極探検隊長白瀬矗(のぶ)が、1912年(明治45)に命名した南極ロス棚氷(たなごおり)の一部。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和雪原」の意味・わかりやすい解説

大和雪原
やまとゆきはら

「やまとせつげん」ともいう。南極大陸沿岸,ロス海の南にあるロス棚氷上の一部。 1912年ホエールズ湾 (鯨湾) からロス棚氷に上陸した日本の白瀬南極探検隊は,棚氷上を南緯 80°まで到達し,付近一帯を大和雪原と命名した。

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世界大百科事典(旧版)内の大和雪原の言及

【白瀬矗】より

…さらに1909年アメリカ隊の北極点到達を知って,南極探検を計画する。10年11月29日26人の隊員とともに開南丸で東京を出発し,12年1月16日南極に上陸,南緯80゜5′地点(大和雪原と命名)まで達したが,食糧不足などから探検を断念して帰国した。【原田 勝正】。…

【南極】より

…この頃,退役陸軍中尉白瀬矗(のぶ)の率いる日本最初の南極探検隊は1910年(明治43)11月29日開南丸(204トン)で東京芝浦を出帆,12年1月,ロス棚氷に接近し小湾(開南湾と命名)から偵察隊が上陸し,本隊は鯨湾近くに上陸した。白瀬隊長ら5名はそり2台と樺太犬30頭でロス棚氷上を南進し,1月28日南緯80゜05′,西経156゜37′の地点に到着,付近一帯を大和雪原(やまとゆきはら)と命名し帰途についた。この間開南丸は東航し,大隈湾の命名や上陸して岩石の採集などを行った。…

※「大和雪原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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