南極探検家、陸軍輜重兵(しちょうへい)中尉。秋田県に生まれる。現役中から北極探検を志し、1893年(明治26)郡司成忠(ぐんじなりただ)の千島探検に参加し、占守(シムシュ)島での越冬で寒地での生活経験と自信を得た。しかしアメリカのピアリーが1909年4月、北極点に達したのを知り、目標を南極に変更した。種々の障害を乗り越え、大隈重信(おおくましげのぶ)の後援、朝日新聞社や地元の秋田魁(さきがけ)新報社を通じて全国的な募金など国民の熱意に支えられて、郡司の報効義会が使用した機帆船第二報効丸を入手した。東郷平八郎によって開南丸(204トン)と命名された船は、1910年(明治43)11月、船長野村直吉(のむらなおきち)(1867―1933)を含む27名を乗せて東京・芝浦を出航した。1回の失敗ののち、1912年1月、ロス海の鯨湾(その東を開南湾と命名)から上陸、白瀬と学術部長武田輝太郎たち5人の突進隊は南極点に向かった。悪天候と装備、食糧の制約から、1912年1月28日、一行は南緯80度05分西経156度37分の地点で付近を大和雪原(やまとゆきはら)と命名し、標識を埋めて引き返した。しかし、南極点は前年の12月14日、ノルウェーのアムンゼン隊によって初めて到達され、また1912年1月18日にイギリスのスコット隊も達していた。開南丸の一行は1912年6月、無事横浜に帰着した。白瀬隊が単に南極到達だけを目的としたのでなかったことは、武田を学術部長に据え、途中、気象、潮汐(ちょうせき)、岩石、動物などの調査をしているのでもわかる。南極点には立たなかったが、現代の南極観測、調査につながる今日的意義のある探検であった。第二次世界大戦後、日本は南極に関するすべての発言権を放棄したが、開南湾(1933年アメリカ地学協会が公認)などの地名は各国の地図・海図に記載され定着している。主著に『南極探検』(1913・博文館)、報告書に南極探検後援会編『南極記』(1913・成功雑誌社)があり、出生地の秋田県にかほ市黒川(旧金浦(このうら)町)の白瀬南極探検隊記念館には開南丸模型などが展示されている。南極・昭和基地の南約100キロメートルにある白瀬氷河は、彼の名にちなんだものである。
[半澤正男]
『白瀬矗著『白瀬矗――私の南極探検記――人間の記録61』(1998・日本図書センター)』▽『長澤和俊著『日本人の冒険と探検』(1973/新装復刊・1998・白水社)』▽『秋田魁新報社編・刊『よみがえる白瀬中尉』(1982)』
(武田文男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
明治期の南極探検家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
明治期の極地探検家。秋田出身。仙台の第2師団に勤務中,北極探検を志し,陸軍中尉で予備役となり,1893年郡司成忠の千島探検に加わる。帰還後北極点到達をめざしたが,日露戦争で延期。さらに1909年アメリカ隊の北極点到達を知って,南極探検を計画する。10年11月29日26人の隊員とともに開南丸で東京を出発し,12年1月16日南極に上陸,南緯80°5′地点(大和雪原と命名)まで達したが,食糧不足などから探検を断念して帰国した。
執筆者:原田 勝正
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1861.6.13~1946.9.4
明治期の探検家。出羽国由利郡生れ。陸軍教導団をへて輜重兵となるが,陸軍武官結婚条例を批判する投書事件により予備役編入,のち予備役少尉に進級。1893年(明治26)郡司成忠(なりただ)の千島探検に参加,占守(シュムシュ)島で3年余を過ごす。1910年開南丸で南極をめざし,12年1月28日南緯80度5分まで達して,付近を大和雪原(やまとゆきはら)と命名した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…一方スコットはロス島で越冬し,12年1月17日に南極点へ到達したが,帰路隊員5名全員が死亡した。この頃,退役陸軍中尉白瀬矗(のぶ)の率いる日本最初の南極探検隊は1910年(明治43)11月29日開南丸(204トン)で東京芝浦を出帆,12年1月,ロス棚氷に接近し小湾(開南湾と命名)から偵察隊が上陸し,本隊は鯨湾近くに上陸した。白瀬隊長ら5名はそり2台と樺太犬30頭でロス棚氷上を南進し,1月28日南緯80゜05′,西経156゜37′の地点に到着,付近一帯を大和雪原(やまとゆきはら)と命名し帰途についた。…
※「白瀬矗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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