20世紀日本人名事典 「大垣丈夫」の解説 大垣 丈夫オオガキ タケオ 明治・大正期の新聞記者 京城通信社社長。 生年文久1年12月19日(1862年) 没年昭和4(1929)年2月3日 出生地加賀国金沢(石川県) 経歴早くから政治運動に奔走し、奈良の「大和新聞」、加賀の「石川日日新聞」などの記者、主筆を経て、明治32年東京で「さくら新聞」を創刊し主筆を務める。38年伊藤博文に認められ韓国に渡る。民族団体大韓自強会、大韓協会の顧問となり、また排日団体を組織して、自ら「大韓民報」を創刊、武力を背景とした韓国併合に反対した。のち京城通信社社長に就任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大垣丈夫」の解説 大垣丈夫 おおがき-たけお 1862*-1929 明治-大正時代の新聞記者。文久元年12月19日生まれ。奈良の「大和新聞」などの記者,主筆をへて明治32年東京で「さくら新聞」を創刊。38年伊藤博文にみとめられ韓国にわたる。民族団体大韓自強会,大韓協会の顧問となり,武力を背景とした韓国併合に反対した。のち京城通信社社長。昭和4年2月3日死去。69歳。加賀(石川県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by