大堰(読み)おおぜき

日本歴史地名大系 「大堰」の解説

大堰
おおぜき

江戸時代初期に開削され、現江刺市西部の倉沢くらさわ三照みてり高寺たかでらの三ヵ村を灌漑した用水路。下門岡しもかどおか(現北上市)大堰とも称した。仙台藩家老古内主膳は承応元年(一六五二)畑返新田願を出し、領内大上廻小嶋嘉右衛門・郡上廻大塚左七郎両名が現地を視察したうえで、下門岡村の山を掘割り平留ひらどめ水門を築造して北上川から取水に成功、三照・倉沢・高寺三ヵ村に通水し、翌年から三ヵ村の畑は田に起返った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報