朝日日本歴史人物事典 「大塚蒼梧」の解説
大塚蒼梧
生年:享保16(1731)
江戸中期の有職故実家。名は嘉樹。通称,市郎右衛門。字は子敏,敏卿。老邁,茅園とも号した。生国は江戸とも山城ともいわれる。初め京都で紀伝,律令を学び,滋野井公麗,高倉永範らについて有職故実を修めた。服部栗斎,黒沢雉岡らから朱子学を学び,のち江戸茅場町や駿河台に住んで学を講じた。伊勢貞丈とも親しく,切磋琢磨するところがあった。博覧強記,実証的で精緻な学風であるので,その所説は今日でも十分に通用するものが多い。
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報