江戸幕府が富裕町人に市中の米を買い上げさせることで中央市場の米価上昇を図った政策。1731年(享保16)から1810年(文化7)まで大坂で6度,江戸で1度の実施が確認できる。形態や方法は時期により若干異なるが,1731年の場合は大坂で,5月に富商から15万両を米仲買に貸与させ購入させる計画が出されたが実施されず,6月に鴻池善右衛門,泉屋吉左衛門ら富商130人余に各自の財力に応じて1000~5000石の米を現米や米切手で購入させ,その数量・価格などを奉行所に報告させるとともに,一定期間保持させて資金入用のときは担保にすることを認め,さらにそれでも不十分であったため,10月には大坂三郷の各町々に割り付けて町内の住民に購入させたが,それらの米は総計60万石に及んだ。その結果,たとえば同年正月1石が銀29匁8分であった広島米が11月には48匁以上になったように一定の成功をみた。しかし,このように御用金の賦課にも通じる方法であったため町人の抵抗もつよく,1806年には幕府が大坂の富商300人余に指定した買米高が総計120万石であったにもかかわらず,商人たちが承諾した請高の総計は60万石にとどまった。なお,これと類似した政策に〈公儀幷市中買持米〉があり,幕府自身が市中の米を買い上げ,かつ町人の大口買付けを許可・奨励しており,史料ではすべて〈買米〉と記されているが,この場合は〈かいまい〉と読んでいる。ちなみに仙台藩が財政強化のため農民の作徳米を強制買上げして江戸へ売る買米(かいまい)制度とは意味が異なる。
この買米のほかにも米切手の延売買(のべばいばい)公認や諸大名に対する大坂・江戸への廻米制限,囲米(かこいまい)の奨励など幕府の米価上昇政策が享保期以降多く見られるが,これは商品貨幣経済の発達により中央市場において米価安,物価高の現象が生じ,年貢米販売に依拠する領主財政が逼迫(ひつぱく)し,ひいては景気全体も停滞することに対する経済政策である。
執筆者:今井 修平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…その結果,たとえば同年正月1石が銀29匁8分であった広島米が11月には48匁以上になったように一定の成功をみた。しかし,このように御用金の賦課にも通じる方法であったため町人の抵抗もつよく,1806年には幕府が大坂の富商300人余に指定した買米高が総計120万石であったにもかかわらず,商人たちが承諾した請高の総計は60万石にとどまった。なお,これと類似した政策に〈公儀幷市中買持米〉があり,幕府自身が市中の米を買い上げ,かつ町人の大口買付けを許可・奨励しており,史料ではすべて〈買米〉と記されているが,この場合は〈かいまい〉と読んでいる。…
…このため1742年(寛保2)調べによれば全領人口81万8061人のうち武家23%弱,百姓74%弱,町方2.5%で,武家人口が多く,大身の家臣には1万石以上の大名級の者が10名もあって,割拠性の強い構造を形づくった。 藩政初期には新田開発,北上川流路改修,東廻海運の拠点石巻港造成等を推進し,買米(かいまい)仕法の実施等経済的基礎を固め,支倉常長の遣欧,桃山文化の摂取にもつとめた。しかし家臣団の割拠性の強さは伊達騒動をひき起こし,吉村の享保改革に際しても領内総検地案を撤回させる結果となった。…
※「買米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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