大山梅雄(読み)オオヤマ ウメオ

20世紀日本人名事典 「大山梅雄」の解説

大山 梅雄
オオヤマ ウメオ

昭和期の実業家 大山グループ総帥。



生年
明治43(1910)年1月5日

没年
平成2(1990)年5月26日

出生地
東京

学歴〔年〕
立正大学経済学部〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和39年〕,勲三等瑞宝章〔昭和60年〕

経歴
小学校を出て丁稚奉行をしながら大学を卒業。昭和11年大山製作所を創立。31年日出製鋼(現・東洋製鋼)社長となり、同社再建に成功。以来船堀製鋼、宮入バルブ、東京鋼鉄などの建て直しに成功し、“再建の魔術師”と呼ばれる。49年津上(のちツガミ)最高顧問として迎えられ、50年社長に。51年3月には30億の累績赤字をゼロにするという鮮かな手腕を見せた。59年7月リッカー再建に乗り出す。62年6月ツガミ社長を退き、取締役相談役に。著書に「会社再建の秘訣」「チャンスは貯蓄出来ない」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山梅雄」の解説

大山梅雄 おおやま-うめお

1910-1990 昭和時代の実業家。
明治43年1月5日生まれ。東京無線電機常務をへて,昭和31年日出製鋼(のち東洋製鋼)の社長。同社をはじめとして宮入バルブ,津上(のちツガミ),池貝鉄工(のち池貝)など17社を再建した。平成2年5月26日死去。80歳。東京出身。立正大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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