大山街道・大山街道片町・八ッ興屋・金注連・下り町(読み)おおやまかいどう・おおやまかいどうかたまち・やつごや・かなじめ・さがりまち

日本歴史地名大系 の解説

大山街道・大山街道片町・八ッ興屋・金注連・下り町
おおやまかいどう・おおやまかいどうかたまち・やつごや・かなじめ・さがりまち

[現在地名]鶴岡市新海町しんかいまち

大山街道は鶴ヶ岡城三の丸西の大山街道口木戸から、西へ延びる大山街道に沿った給人(足軽)地。ほぼ中央南側で下り町に続く。北側ほぼ半分は曹洞宗禅龍ぜんりゆう寺が占める。屋敷割の時期は不明。延宝六年(一六七八)の城下絵図では四二間・八五間。元禄九年(一六九六)の城下絵図では大山海道二〇二間とある。天保九年(一八三八)四ッ興屋よっごやにあった矢場が当地に移された(大泉掌故)。この矢場は明治三年(一八七〇)取壊しとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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