日本歴史地名大系 「大島神社」の解説
大島神社
おおしまじんじや
[現在地名]三原市本町
もと三原城の鎮守として
野畑山への移転の時期について、稲荷社は福島氏時代、厳島社は享保一〇年(一七二五)の愚按稿(「三原市史」所収)に浅野忠真が稲荷山に移すとあり、「三原志稿」に延宝年中(一六七三―八一)両社再建とあるので、この頃までには移されたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
もと三原城の鎮守として
野畑山への移転の時期について、稲荷社は福島氏時代、厳島社は享保一〇年(一七二五)の愚按稿(「三原市史」所収)に浅野忠真が稲荷山に移すとあり、「三原志稿」に延宝年中(一六七三―八一)両社再建とあるので、この頃までには移されたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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