日本歴史地名大系 「大工廻村」の解説 大工廻村じやくじやくむら 沖縄県:沖縄島中部沖縄市大工廻村[現在地名]沖縄市大工廻(だくじやく)・白川(しらかわ)・御殿敷(おどんしき)・倉敷(くらしき)・森根(もりね)越来(ぐいーく)村の北にある。絵図郷村帳や琉球国高究帳に大工廻村と記され、ジャクジャク、ダクジャクとよばれる。越来(ぐいーく)間切に属し、北の宇久田(うくだ)村(河陽村)とともに宇久田・大工廻と併称される。琉球国高究帳によれば高頭二九一石余、うち田一二三石余でそのうち五〇石余は永代荒地、畠一六七石余。里積記によれば田は中、畑が下の村位。脇地頭は順治一三年(一六五六)から康熙二年(一六六三)まで大工廻親方朝株(向氏森山家初代)、同年から同一二年まで大工廻親雲上朝位(同家二代)と向氏森山家が続き(向姓森山家家譜)、しばらく不明の後、同三六年から同四三年まで大工廻親方盛明(毛氏名嘉原家初代)、同年から雍正八年(一七三〇)まで大工廻親方盛叙(同家二代)、同年から乾隆二〇年(一七五五)まで大工廻親雲上盛宏(同家四代)、同年から同四四年まで大工廻親雲上盛方(同家五代)と毛氏名嘉原家が続き(毛姓名嘉原家家譜)、同年から同四六年までは大工廻親方朝金(向氏登川家初代)が任職し(向姓登川家家譜)、その後不明の後、道光三〇年(一八五〇)から咸豊元年(一八五一)までは大工廻親雲上安詳(毛氏大工廻家五代)、同年から廃藩までは大工廻親雲上安恒(同家六代)と毛氏大工廻家が占めている(毛姓大工廻家家譜)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報