日本歴史地名大系 「沖縄市」の解説 沖縄市おきなわし 沖縄県:沖縄島中部沖縄市面積:四九・〇〇平方キロ沖縄島中部地域の中央部から東部に位置する。北は石川市・中頭郡恩納(おんな)村、南は同郡北谷(ちやたん)町・北中城(きたなかぐすく)村、西は同郡嘉手納(かでな)町・読谷(よみたん)村、北東部で具志川(ぐしかわ)市に接し、南東は中城(なかぐすく)湾に面する。西部を中心に面積の約三六パーセントにあたる一七・七四平方キロを米軍基地が占めている。沖縄島は当市一帯を境に北部と中南部では地形・地質が大きく異なっている。市北部の地域は国頭磔層の赤色土が厚く覆い、倉敷(くらしき)一帯で市内最高地(標高二一〇メートル)を測り、南方に低く傾斜して知花(ちばな)や胡屋(ごや)・仲宗根(なかそね)など、中央部地域の石灰岩台地へと移行する。台地上はカルスト地形が小規模ながら発達し、その一帯に鬼大城(賢勇)自害の地とされる知花(ちばな)グスク、抜歯の習俗を示す人骨を出土した仲宗根(なかそね)貝塚、沖縄の先史時代の編年研究に多くの例を提供した室川(むろかわ)貝塚など先史時代・グスク時代の遺跡がある。この台地を国道三三〇号が南西から北東方向に走り、その沿線に胡屋・上地(うえち)・諸見里(もろみざと)などの住宅・商業地域が形成されている。また南北に国道三二九号が走り(コザ十字路で三三〇号と接続)、市域の中央部から東部にいたるジャーガル土壌地帯に照屋(てるや)・安慶田(あげだ)・宮里(みやざと)などの住宅・商業地域が展開している。東部では泡瀬(あわせ)一帯を中心とする沖積低地が広がり、与儀(よぎ)・比屋根(ひやごん)から古謝(こじや)にかけて幾つもの集落が存在する。市ではこのような地勢の特徴をとらえて北部・中部・東部、そして西部と市域を四つの地区に分け、地区の特性を生かした魅力ある都市空間づくりを目指している。〔古琉球・近世〕市域は古琉球期における越来(ぐいーく)間切をその前身とする。近世前半のいわゆる間切分割で康熙五年(一六六六)に越来間切から一五ヵ村を割いて美里(んざとう)間切が分離・独立。以後間切所属村の変更は一部あったものの、西方は越来間切、東方は美里間切に属して近代に至った。宣徳一〇年(一四三五)に当時の王弟であった尚泰久が、また成化六年(一四七〇)には同じく王弟尚宣威がそれぞれ越来王子に封ぜられており、のちに国王となる人物が配されるなど、古琉球期において越来間切は要衝の地として位置づけられていた。〔近現代〕明治一二年(一八七九)の廃藩置県により沖縄県の管轄下となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沖縄市」の意味・わかりやすい解説 沖縄〔市〕おきなわ 沖縄県,沖縄島中部にある市。那覇市に次ぐ沖縄第2の都市で,1974年コザ市と美里村が合体して成立。「国際文化観光都市」を宣言している。旧コザ市は基地の町として知られ,嘉手納飛行場(かでなひこうじょう)第2ゲート前の空港通り,諸見大通り,中央パークアベニュー,一番街,銀天街などの商店街がある。第3次産業の比率が高く,卸売業,小売業とサービス業で 90%以上を占め,基地経済への依存度も高い。胡屋にイリオモテヤマネコ(国の特別天然記念物)が飼育されていた沖縄こどもの国がある。沖縄自動車道と国道329号線が縦断する。面積 49.72km2。人口 14万2752(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by