白川(読み)シラカワ

デジタル大辞泉 「白川」の意味・読み・例文・類語

しらかわ〔しらかは〕【白川/白河】

京都市北東部を流れる白川流域の地名。平安時代に藤原氏の別邸白河殿があった。
(白河)福島県南部の市。もと松平氏の城下町。南湖公園、南端には白河関跡がある。平成17年(2005)11月、表郷おもてごう村・東村・大信たいしん村と合併。人口6.5万(2010)。
(白川)熊本県中部を流れる川。阿蘇山に源を発し、熊本平野を西流して熊本市で島原湾に注ぐ。長さ74キロ。

しらかわ【白川】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「白川」姓の人物
白川英樹しらかわひでき
白川方明しらかわまさあき
白川義則しらかわよしのり

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「白川」の意味・読み・例文・類語

しら‐かわ‥かは【白川・白河】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 水のきれいな川。
      1. [初出の実例]「正青山成枯、枯山成青、青河成白河、白川成青川」(出典:亀卜秘伝)
    2. 小石や砂利を一面に敷きつめたところ。小石や砂利を、白い川に見立てていう語。白州(しらす)
      1. [初出の実例]「ゆふぜんの伊達な下着を一つ前、横目つかうて白河につくばい、私は堺の素人浄瑠璃」(出典:浄瑠璃・妹背山婦女庭訓(1771)三)
    3. ( 「しらかわよぶね(白川夜船)」の略 ) =しらかわよぶね(白川夜船)
      1. [初出の実例]「ヲヤ番頭さんをはじめ白川だ、コリャア夜ばへにくる事だはへ」(出典:洒落本・傾城買四十八手(1790)しっぽりとした手)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] ( 白川 ) 京都市左京区を流れる川。比叡山と如意ケ岳との間の東山山中に源を発し、西流して北白川から岡崎を流れ、祇園付近で鴨川に合流する。延長九・三キロメートル。
    2. [ 二 ] ( 白川 ) 熊本県中部を流れる川。阿蘇山に源を発し、西流して熊本市で島原湾に注ぐ。延長七四キロメートル。
    3. [ 三 ] ( 白川・白河 ) 京都市左京区南部の地名。[ 二 ][ 一 ]の流域一帯をいう。平安時代には鴨川から東側、東山までの一帯を呼称した。中世、平安京が衰えたときにもこの地帯は栄え、京・白河と併称されたこともある。
    4. [ 四 ] ( 白河 ) 福島県南部の地名。阿武隈川の上流域にある。陸奥国の入口にあたる要地で、古代、白河関が置かれた。江戸時代は松平定信で名高い白河藩一〇万石の城下町。また、奥州街道の宿駅として栄えた。明治維新戊辰戦争では戦場となる。昭和二四年(一九四九)市制。
    5. [ 五 ] 陸奥国にあった旧郡名。また、大化改新以前にあった古い国名。

しらかわしらかは【白川】

  1. 姓氏の一つ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「白川」の解説

白川
しらかわ

阿蘇中央火山丘の南麓南郷谷に源を発し、阿蘇郡白水はくすい村白川水源などの水を集め、南郷谷を西流、長陽ちようよう栃木とちのき付近で鮎帰あゆがえりの滝となる。同村河陽の戸下かわようのとしたで阿蘇谷の水を集めたくろ川を合流し、ここから菊池郡大津おおづ町・菊陽きくよう町の段丘を経て熊本平野に入り、熊本市を経て有明海に注ぐ一級河川。全長約七八キロ・流域面積四九八平方キロ。支流の黒川は阿蘇山の根子ねこ岳裾野に源を発し、阿蘇山の北側をカルデラ壁に沿って西流し、立野たての火口瀬近くで白川と合流する。延長四〇キロ。火口丘から東岳ひがしたけ川・西岳川・乙姫おとひめ川、外輪山側からみや川・花原かばる川が注ぎ、白川との合流点のすぐ上に数鹿流すがるヶ滝がある。阿蘇谷の開発は上流の古城こじよう付近から始められ、一の宮いちのみや手野の上御倉てののかみのおくら古墳・下御倉古墳は阿蘇国造ゆかりのものとされ、国造こくぞう神社は式内社の一つである。この辺りは圃場整備前には条里の跡が残るなど古くから開発された地域であった。中流の阿蘇町内牧うちのまきは豊後街道の宿場町として栄えたが、幕末に川の両岸に温泉が湧出し、近代になって交通路が変わった後も温泉町として繁栄している。末端に九州電力の黒川発電所(水路式)が造られた。


白川
しらかわ

比叡山と如意によいたけの間、山中やまなか(現大津市)に発する。山中越やまなかごえに沿って北白川(現左京区)の東北端から西南流、吉田山の北東から鹿ヶ谷を南流して南禅寺の西に至り、琵琶湖疏水に注ぐ。

かつての白川は三条通の北を西に流れて鴨川と合流していたが、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図によると白川本流が廃絶しており、それに代わって白川の支流であった小川こかわが、新たに白川として登場している。従って現在、平安神宮(現左京区)前の慶流けいりゆう橋から疏水と分れて南へ流れ、知恩院古門前ちおんいんふるもんぜん(現東山区)を西に流れて四条通の北で鴨川運河に合流する川も白川とよぶが、これは昔の小川であり、かつての白川本流ではない。「坊目誌」は川の長さ四〇〇間、川幅四間四尺と記す。


白川
しらかわ

飯豊町岩倉いわくら地内に源を発し、同町をほぼ北東に貫流し、長井市いずみで最上川本流のまつ川と合する一級河川で、本流の最上川は当川合流点より上流では松川と通称される。流路延長約四二・四キロ。上流は中津川なかつがわ郷と通称される峡谷部で、同地区で遅谷おそだに川・広河原ひろがわら川・小屋こや川など飯豊山系東部の山々を水源とする支流を右岸に合せ、飯豊町付近から氾濫原を形成、下流左岸には小白こじら川・萩生はぎゆう川など、朝日山系南端の山稜に発する支流が注ぐ。


白川
しらかわ

赤城火山帯を流下する代表的な河川。全長一六・八キロ、流域面積一七・九平方キロ。赤城山地蔵じぞう岳の南麓に源を発して南流し、流域諸大字の分界水となり(川東は小暮・時沢、川西は石井・小沢・原之郷)、前橋市青柳あおやぎ町に入り、桃木もものき川に合流した後、利根川に注ぐ。この川は平常、流水が少量で灌漑する区域もはなはだ少ないが、暴風雨の際には著しく増水し、多量の砂礫を流して田畑が埋没することがあった。「富士見村誌」によると、白川の災害は宝暦元年(一七五一)、安永六年(一七七七)、寛政八年(一七九六)と度々あった。大水の度に堆積が進んで、大河原おおかわら付近を扇端部とする山麓扇状地を形成している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「白川」の意味・わかりやすい解説

白川(村)
しらかわ

岐阜県北西部、大野郡にある村。役場所在地は鳩谷(はとだに)。かつては秘境白川郷(ごう)の中心で、大家族制の村として知られたが、御母衣ダム(みぼろだむ)の建設(1961)以来、国道156号も改良され、村の生活も近代化され変容している。2002年(平成14)には東海北陸自動車道の白川郷インターチェンジも設置された。そのほか、国道360号、白山白川郷ホワイトロードが通じている。御母衣には茅葺(かやぶ)き切妻合掌造の遠山家の旧住宅(旧、遠山家民俗館、国指定重要文化財)がある。荻町(おぎまち)地区は重要伝統的建造物群保存地区。また、合掌造保存のため「合掌造り民家園」がつくられ、訪れる観光客が多い。10月中旬の「どぶろく祭」は有名。なお、白川郷は五箇山(ごかやま)(富山県)とともにその合掌造集落が、1995年(平成7)、世界遺産の文化遺産として登録されている。西部の富山県白山市の境にそびえる白山の周辺は白山国立公園に含まれる。また、東部の天生(あもう)山地付近には天生県立自然公園になっている。面積356.64平方キロメートル、人口1511(2020)。

[上島正徳]

『『白川村史』(1968・白川村)』『『新編白川村史』全3巻(1998・白川村)』



白川(町)
しらかわ

岐阜県中南部、加茂郡(かもぐん)にある町。1953年(昭和28)町制施行。1954年坂ノ東村を編入、1956年蘇原(そはら)、佐見、黒川の3村と合併。国道41号、256号とJR高山本線が通じる。町の中心の河岐(かわまた)地区は、飛騨川(ひだがわ)とその支流白川の合流点付近で、高山本線白川口駅から飛騨川の橋を渡った所。駅の対岸に閑静な白川温泉(硫黄泉)があり、これから下流は飛騨木曽川国定公園(ひだきそがわこくていこうえん)の景勝地。林業が盛んで、東濃ヒノキの産で知られ、林業センターなどもある。工業は木材、木製品関係がおもなもの。町民会館のパイプ・オルガンと特産の白川茶は有名。大山の大スギは国の天然記念物。面積237.90平方キロメートル、人口7412(2020)。

[上島正徳]

『『白川町誌』(1968・白川町)』



白川(京都市)
しらかわ

京都市左京区・東山区を流れる川。滋賀県との境にあたる比叡(ひえい)山地の四明岳(しめいがたけ)と如意ヶ岳(にょいがたけ)の間の大津市山中(やまなか)町に源を発して西流し、北白川で京都盆地に入り、市街の東を南流して、四条大橋の北で鴨(かも)川に合流する。延長9.3キロメートル。川名は、流域の花崗(かこう)岩の石英を主とする白砂が川砂となることによる。上流の河谷は山中越(やまなかごえ)とよばれ、京都と近江(おうみ)を結ぶ間道として利用され、現在は比叡山ドライブウェイが通ずる。平安時代には鴨東(おうとう)一帯は白河とよばれ、白河院御所、法勝寺(ほっしょうじ)などの六勝寺、貴族の邸宅、寺院などが造営された。現在は岡崎公園の地で、平安神宮、京都国立近代美術館、動物園などがあり、また祇園(ぎおん)の白川沿いは重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

織田武雄



白川(熊本県)
しらかわ

熊本県中部を東西に流れる川。阿蘇(あそ)中央火口丘の南麓(なんろく)に源を発し、阿蘇カルデラ南部の南郷谷(なんごうだに)を北西流、火口瀬にあたる南阿蘇(みなみあそ)村戸下(とした)で阿蘇谷を流下してきた黒川と合したのち流向を西にとり、阿蘇外輪山、肥後(ひご)台地、沖積層の熊本低地を刻しながら、島原湾に注ぐ。延長74キロメートル、流域面積480平方キロメートル。火山灰地域を流れるため、堆積(たいせき)作用が激しく、かつ豊水期・渇水期の流量差も大きく、古来から河川交通にも利用されることはほとんどなかった。また、下流域では低湿地の排水確保が、中流域では段丘面の用水確保が、いまも農業経営上の課題である。

[山口守人]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「白川」の意味・わかりやすい解説

白川 (しらかわ)

熊本県の中北部を阿蘇山から西に流れる川。源を根子(ねこ)岳(1433m)と阿蘇の南外輪山のすそ合い付近に発し,南郷谷を西流して,途中湧水を集めて水量を増し,栃木(とちのき)付近で鮎返滝を掛けたのち峡谷に入り,戸下(とした)で阿蘇谷からの黒川と合流,外輪壁を破る立野(たての)火口瀬で深いV字谷を刻む。この付近の左岸には照葉樹林を主とした北向谷(きたむきだに)原始林(天)がある。これより熊本平野の洪積台地をほぼ一直線に割って西流,中・下流を蛇行しながら熊本市街を貫流し島原湾に入る。幹川流路延長約74km。流域は阿蘇カルデラを頭部とするオタマジャクシの形に似ており,流域面積約480km2の80%はカルデラ内にある。カルデラ内から流出する河川は,中・下流の水田約4000haの用水となっているが,中流で浸透量の大きな台地に取水されるため,下流域ではしばしば用水不足に見舞われ,豊富な湧水源をもつ緑川水系の加勢川からポンプ揚水により灌漑用水を補給する。

 流域の形状から上流域に豪雨が集中すると,ヨナ(火山灰)を溶かした泥流が一気に押し寄せ下流に堆積する。1953年6月の集中豪雨は熊本市に未曾有の大泥水害をもたらした。白川の本格的な治水工事は,加藤清正によって始められた。1603年(慶長8)熊本城築城にあたっては白川の水害を除き,熊本城下の水運を確保するために,白川に合流していた坪井川の分離工事が行われた。また,中流域では瀬田上井手,瀬田下井手,馬場楠井手,下流域では渡鹿堰などの灌漑用水が建設され,熊本平野の開発は大いに進んだ。1911-14年に黒川・白川両発電所ができ,79年からは治水用の立野ダムの建設が進められている。
執筆者:


白川 (しらかわ)

京都市左京区を流れる鴨川東岸の支流。また白川流域一帯の古称。川は比叡山南側の大津市山中町付近から西へ下り,谷口で南へ向かい,吉田山の東側から岡崎を経て四条大橋北側で鴨川に合流する。途中,岡崎の南側では一部琵琶湖疎水と合流している。上流部一帯は花コウ岩地域であり,風化・浸食作用が著しく,同時に谷口から鴨川にかけては活発な堆積作用によって白川扇状地を形成した。花コウ岩質の砂の堆積で流れが白く見えるためにその名が生まれたといわれる。白川石,白川砂は京都の建築・造園に重要な役割を果たしてきた。白川扇状地上には縄文時代以来の各種遺跡があり,平安時代には藤原良房が別邸(白川殿)を営むなど王朝貴族の別荘地であったが,さらに11世紀末には白河天皇の法勝(ほつしよう)寺建立を最初として六勝寺が建立され,院御所の立地ともあいまって,平安末には政治の中心であった。南北朝前後ごろからは民家も増え,やがて白川女が京の花売りに出,白川の水を利用した水車場なども見られるようになった。近世には現在の左京区北白川一帯が白川村となった。1897年に京都帝国大学が創立され,文教・住宅地区へと変貌して現在に至っている。
執筆者:


白川[村] (しらかわ)

岐阜県北西部,大野郡の村。人口1733(2010)。庄川の上流,両白山地内に位置し,西は白山を境に石川県,北は人形山を境に富山県と接する。南隣の高山市の旧荘川村とともに白川郷と呼ばれ,大家族制と合掌造を特徴とする奥飛驒の秘境であった。東海北陸自動車道の白川郷インターチェンジがあり,庄川沿いを国道156号線が通じ,流域の河岸段丘上に集落と耕地がある。村内を流れる庄川には椿原,鳩ヶ谷,御母衣(みぼろ),大白川の4ダムがあり,御母衣ダム建設(1961)では水没のため移転する人も多かった。白川郷合掌村があり,旧遠山家住宅は重要文化財に指定されている。西部は白山国立公園に属し,飛驒側からの白山登山口である。
執筆者:


白川[町] (しらかわ)

岐阜県東部,加茂郡の町。1953年西白川村が町制を施行し,現名に改称。人口9530(2010)。白川が町の中央を西流し,西部を南流する飛驒川に合流する。合流点の白川口付近が中心集落で,白川温泉(単流硫化水素泉,16℃)がある。飛驒川に並行して国道41号線,高山本線が走る。町域の9割が山林で,白川茶,東濃ヒノキの産地として知られ,製茶工場,製材所がある。ほかにシイタケ栽培も行われる。飛驒川流域は飛驒木曾川国定公園に属し,白川口から七宗(ひちそう)町上麻生までの飛水峡は景勝地として知られる。白山神社には大山の大杉(天)がある。クオーレふれあいの里,田代グリーンランドなど短期滞在型のリゾート施設が開設された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「白川」の意味・わかりやすい解説

白川[村]【しらかわ】

岐阜県北西端,大野郡の村。富山・石川各県に接し,南北に流れる庄川の上流域を占める。大半が山林で平坦地は少なく,石川県との境には霊山として名高い白山があり,登山口にもなっている。庄川沿いを南北に国道156号が,東西には国道360号が通じ,2002年には東海北陸自動車道も開通して,交通網の整備が劇的に進んだ。電源開発も各地で行われ,庄川とその支流には多くのダムが立地し,村の中心に近い鳩谷ダムや白山麓の大白川ダム,南部の御母衣(みぼろ)ダムなどは規模が大きい。観光資源も豊富で,西部の白山周辺は白山国立公園に属し,南部には平瀬温泉が湧くほか,荻町の合掌造集落は隣の富山県南砺市五箇山地区とともに世界遺産にも指定され,あまりにも有名。356.64km2。1733人(2010)。

白川[町]【しらかわ】

岐阜県東部,加茂郡の町。飛騨川の左岸,支流の白川,黒川,赤川,佐見川などの流域を占める。中心集落は飛騨川と白川の合流点付近にあり高山本線が通じる河岐(かわまた)で,白川温泉があり,飛水峡など飛騨木曾川国定公園の観光基地。茶,ヒノキ材を特産。237.90km2。9530人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白川」の意味・わかりやすい解説

白川
しらかわ

京都府京都市北東部,左京区を流れる川。比叡山と如意ヶ岳の間に源を発し,京都盆地に流れ出てからは南へ向かって琵琶湖疏水に合流し,さらに南西へ向かって鴨川に注ぐ。全長 9km。花崗岩地帯から白い砂を流してくるので白川と呼ばれた。砂は白川砂の名で知られ,御所,社寺などの庭園に使用される。

白川
しらかわ

熊本県中部,阿蘇山の根子岳に発し,立野付近で阿蘇谷の黒川を合せ西流して熊本平野を貫流,有明海に注ぐ川。全長 74km。熊本平野の灌漑用水として重要。 1953年6月に大洪水があり,熊本市はじめ流域に大災害をもたらした。河口部は干拓が進んでいる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典・日本の観光資源 「白川」の解説

白川

(福岡県朝倉市)
日本の棚田百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の白川の言及

【白川[町]】より

…岐阜県東部,加茂郡の町。1953年西白川村が町制を施行し,現名に改称。人口1万1681(1995)。…

※「白川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android