20世紀日本人名事典 「大智勝観」の解説 大智 勝観オオチ ショウカン 明治〜昭和期の日本画家 生年明治15(1882)年1月1日 没年昭和33(1958)年8月8日 出生地愛媛県今治市本町 本名大智 恒一 学歴〔年〕東京美術学校日本画科〔明治35年〕卒 経歴志願兵の歩兵少尉として日露戦争に1年間従軍する。大正2年文展で3等賞、翌3年日本美術院再興に際しては筆谷等観と共に大久保一党の中心的人物として参加、再興第1回展に「聴幽」を出品し同人に推挙される。以後戦後まで毎年出品し、院展長老格として重きをなした。昭和5年ローマ日本美術展に参加する横山大観、速水御舟らに随行して渡欧、帰国後大観と共著の「渡伊スケッチ集」を刊行。14年新文展審査員となり、戦後日展にも出品し参事を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大智勝観」の解説 大智勝観 おおち-しょうかん 1882-1958 明治-昭和時代の日本画家。明治15年1月1日生まれ。大正2年文展で「雨の後」が3等賞を受賞,翌年日本美術院が再興されると同人となり,院展で活躍。横山大観との共著に「渡伊スケッチ集」がある。昭和33年8月8日死去。76歳。愛媛県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は恒一。作品に「聴幽」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by