大月興野
おおつきごうや
[現在地名]豊栄市大月
福島潟西岸にあり、北は新鼻新田、北西は里飯野新田、南西は大月興野新田。まな板倉とも称する。享保期(一七一六―三六)の新発田藩の福島潟開発により成立し、同一九年の新発田領岡方五三ヵ村のうちに村名がみえる。元文五年(一七四〇)検地を受ける。宝暦七年(一七五七)四月の大雨による損毛が多く、幕府領であったため周辺村々とともに飢夫食の拝借を水原役所に願出たが、却下されたため江戸まで出願している(「仲間村々申合候一札」豊栄市役所蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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