市の中心は
市域のほとんどは近世中期まで
その後文献上で当市域にかかわるものはしばらく見当らない。文永二年(一二六五)一二月一三日の大見政家譲状(大見水原氏文書)に「水原条西黒河・舟原境事」として「西 限菅淵、河下飯野次柳」と記され、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...