大槻喬(読み)オオツキ タカシ

20世紀日本人名事典 「大槻喬」の解説

大槻 喬
オオツキ タカシ

昭和期の電気工学者 東京工業大学名誉教授;電気学会会長。



生年
明治26(1893)年4月

没年
昭和44(1969)年11月16日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
東京高等工業学校付設工業教員養成所電気科〔大正3年〕卒

学位〔年〕
工学博士(東京帝国大学)〔昭和7年〕

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和21年〕

経歴
宮崎県立工業学校教諭から東京高等工業学校助教授、熊本高等工業学校教授となり、昭和4年東京工業大学助教授となった。6年ドイツのダルムシュタット工業大学からドクトル・インジェニオアの学位、7年東大より工学博士号を得た。9年東工大電気工学科教授。29年定年退職、名誉教授。同年明治大学教授、東洋電機製造取締役・技術研究所長となった。38年東海大学教授、40年工学部長、44年電気学会会長。著書に「送配電工学配電篇」「工業設備」「電気回路論」「交流現象入門」「過渡現象入門」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻喬」の解説

大槻喬 おおつき-たかし

1893-1969 昭和時代の電気工学者。
明治26年4月8日生まれ。ドイツに留学し,昭和9年東京工業大教授。退官後,明大,東海大の教授をつとめた。長距離送電線の研究で知られた。電気学会会長。昭和44年11月16日死去。76歳。兵庫県出身。東京高工卒。著作に「工業設備」「電気回路論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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