大沼田村(読み)おおぬまたむら

日本歴史地名大系 「大沼田村」の解説

大沼田村
おおぬまたむら

[現在地名]足利市大沼田町・毛野新町けのしんまち

北は大坊だいぼう山、東は大小だいしよう山系、西は大平おおひら山と三方を山に囲まれ、南は大久保おおくぼ村・八椚やつくぬぎ村。「おんた」村ともよぶ。応永(一三九四―一四二八)末年に存在したとされる長尾尾州の渡状などに「借宿給内太沼田郷内大田参段」とみえる(「鑁阿寺什書目録」鑁阿寺文書)。貞治六年(一三六七)二月一二日には大沼田四郎左衛門入道ほか一名に鑁阿寺仏事供料を未進している郷々への催促が命じられており(「関東公方足利基氏御判御教書」黒田太久馬氏所蔵文書)、「足利長尾顕長家来」にも当村の者として大沼田淡路守(永二〇〇貫文)・同丹後守の名がみえ、大沼田氏は当地の在地領主と考えられる。


大沼田村
おおぬまたむら

[現在地名]東金市大沼田

小沼田こぬまた村の南に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二八〇石。元和三年(一六一七)当村などの一千四〇〇石が旗本岩瀬領(知行宛行状)となる。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では小沼田組に属し、旗本新庄領二八〇石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高三〇六石余、家数四六、幕府領・旗本新庄領。天保七年(一八三六)の人数二八二(麻生家文書)。旧高旧領取調帳では幕府領二七石余・新庄領三三七石余。嘉永六年(一八五三)入会地の芝をめぐり境論となっている(麻生家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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