福井県南部、三方郡にあった旧町名(三方町(ちょう))。現在は三方上中(みかたかみなか)郡若狭(わかさ)町北東部を占める地域。日本海に臨み、小浜(おばま)市に接する。旧三方町は1953年(昭和28)八(や)村と西田村が合併して成立。1954年十(と)村を編入。2005年(平成17)遠敷(おにゅう)郡上中(かみなか)町と合併して三方上中郡若狭町となった。矢筈(やはず)山塊下の三方断層沿いにJR小浜線、丹後(たんご)街道(国道27号)が走り、やや大きな集落が並ぶ。国道162号が通じる。中心の三方は商業集落で近くに石観音がある。三方五湖のうち三方、水月(すいげつ)、菅(すが)の3湖と展望台のある梅丈(ばいじょう)岳があり、観光道路三方五湖レインボーラインも通り若狭湾国定公園の中心をなして観光客も多い。湖岸では西岸の旧西田村を中心にウメを特産し、「福井梅」として京阪神へ出荷する。三方湖に注ぐ「はす川」河口に近い鳥浜(とりはま)はウナギが名産で、また大遺跡鳥浜貝塚がある。海沿いは典型的なリアス海岸で、食見海岸に福井県海浜自然センターがある。常神(つねかみ)半島は平地がなく、常神、神子(みこ)など定置網漁村が点在する。常神のソテツは国指定天然記念物。
[島田正彦]
『『西田村誌』(1955・三方町)』▽『『三方町史』(1990・三方町)』
衝重(ついがさね)といわれる膳(ぜん)の一種で、ヒノキの白木でつくった折敷(おしき)を、三面に眼象(げんじょう)(刳形(くりがた))のある台の上に取り付けたもの。もとは食事用の台にしたが、現在は神祭に神饌(しんせん)などをのせる台や容器としたり、各種儀式に物をのせる台となっている。各家庭では、神棚への供物、正月の床飾(とこかざ)り(鏡餅(かがみもち)、蓬莱(ほうらい)など)、屠蘇(とそ)の祝いの台・容器として使っている。白木が原形だが、黒または朱塗りのもの、蒔絵(まきえ)を施したものがある。使用には、折敷の側板の綴目(とじめ)がなく、台に刳形がないほう(台の側板の綴目があるほう)を表とし、この面を神前、貴人に向けて置く。衝重には三方と、台の四面に刳形のある四方、刳形がない供饗(くぎょう)とがあった。『三光院内府記』(安土(あづち)桃山時代)には、大臣以上が四方、大納言(だいなごん)以下は三方、六位蔵人(くろうど)は細縁の三方を用いるとあるが、この時代には武家や庶民の間でも三方は使われていた。なお、伊勢(いせ)神宮の神楽(かぐら)殿では丸三方といい、浅い盆形の曲物(まげもの)に円筒形の曲物の台をつけたものが用いられている。ただしこれには刳形がない。
[小川直之]
『岩井宏實・日和祐樹著『神饌』(1981・同朋舎出版)』
神仏への供物台,あるいは宴席などでの食膳として用いられる衝重(ついがさね)の一形式。衝重は方形角切(すみきり)の筒形台脚を備えた折敷(おしき)の総称で,《貞丈雑記》によれば,上部の折敷形に台部を衝き重ねるところから衝重の名があるという。その台部の3方に眼象(げんしよう)(格狭間(こうざま))と称する繰形を透かしたものがすなわち三方であり,4方に透かしたものが四方(しほう)である。また眼象のないものは供饗(くぎよう)という。このうち現在もっとも一般的なのは三方で,主として神事の際の神饌具に供せられてきた。一般の家庭でこれに酒器や正月の鏡餅をのせ,神棚や床の間に供えるのも,この伝統に基づいている。しかし古くは食膳とされるのがふつうで,室町時代の《酒飯論絵詞》にも,これを用いた宴席の場面が描かれている(膳)。台上の盤を膳としての折敷形にかたどるのもそのためであろう。応仁元年(1467)の年紀をとどめる春日大社の散米用衝重は,銘文中に〈散米折敷〉と記しており,この種のものを当時はなお折敷と呼んでいたことがわかる。また《三内口訣》には〈盤。四方三方事。大臣以上は四方。大納言以下は三方也。(中略)細縁之三方は六位蔵人に用之候〉とあり,食膳として用いられる四方,三方が,身分によって使い分けられていたことを示唆している。
材はヒノキの素木とするのが通例であるが,ときには黒漆あるいは朱漆塗のものもあり,蒔絵をほどこした豪華な事例もある。近世以降の三方は,台部に透かした繰形を宝珠形にかたどるようになるのが特色であるが,仏像の台座などの側板にみられるいわゆる格狭間が本来の姿であり,その類型化されたものといえよう。三方の場合は台に繰形を透かさない面が正位置であり,折敷の縁の綴目(とじめ)をこれにあわせ,神前や客人に向ける。
執筆者:河田 貞
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…1701年(元禄14)会所と呼び,25年(享保10)には政務所と改称。また政治組織面では1676年(延宝4)三方(さんかた)が整備された。すなわち,政務の取次ぎなどを行う御側方(おそばかた),財政や民政を担当する表方,警備や軍事の番方であった。…
… 膳は,現在一般に会席膳と呼ばれる方1尺2寸(約36cm)の折敷を除いては,ほとんどが足をつけるか,台に載せた形態のものである。板を折り回した足を折敷の下につけたものを衝重(ついがさね)といい,足の前面と左右両側の3面に繰形(くりかた)をつけたものを三方(さんぼう),4面につけたものを四方と呼んだ。これに対して,大きく格狭間(こうざま)を透かせた台に折敷を載せたものを懸盤(かけばん)といい,藤原氏の氏長者(うじのちようじや)がその地位の標識として朱器とともに伝領した台盤も,この形式のものであった。…
…平安~鎌倉期に繁栄した若狭湾岸の港津。現,福井県三方(みかた)郡三方町気山。1065年(治暦1)9月,越中国の調物運漕に際し,路次の国々の津泊などで〈勝載料〉を割き取ることを禁じた太政官符(写)に,近江の塩津・大浦・木津,越前の敦賀津とともにこの津が見え,当時北陸方面から近江を経て京都に至るための一要津であったことが知られる(壬生家文書)。…
…若狭国(福井県)三方(みかた)郡の荘園。現,三方町南部,鰣(はす)川上流域の倉見から横渡・井崎・黒田・田上にかけての地域と,御賀尾浦(現,三方町神子(みこ))など浦若干を含む。…
※「三方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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