大炊御門高倉邸跡(読み)おおいのみかどたかくらていあと

日本歴史地名大系 「大炊御門高倉邸跡」の解説

大炊御門高倉邸跡
おおいのみかどたかくらていあと

藤原氏の別邸の一。保元の乱(一一五六)の中心人物の一人、左大臣藤原頼長が、長承四年(一一三五)より久安六年(一一五〇)氏長者となり東三条邸に入るまでの一六年間居住した。

「台記別記」久安四年八月九日条に「大炊御門北、高倉東 方一町亭」とあり、これは現橘町・鍵屋町全域、坂本町の東側、四丁目の西側付近にあたる。

同邸内東方の舎屋には藤原実能・公能父子が住み、頼長は西方の舎屋に居住した(「台記」久安六年八月九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 山槐記 書庫

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む