大田輪村(読み)おおたわむら

日本歴史地名大系 「大田輪村」の解説

大田輪村
おおたわむら

[現在地名]浅川町大田輪

大多和・大田和・太田輪とも記す。蛇行するやしろ川の北岸に位置し、平坦な地形に恵まれている。集落北側背後の丘陵地には数多くの古墳が散在し、東は滝輪たきわ村、北はそめ村など。永和三年(一三七七)一一月二五日の結城朝治譲状(結城神社文書)に「たか野きた郷内大たは村」とみえ、朝治に実子ができなかった場合、当地などの朝治の所領一円(一部を除く)をひこ夜叉に譲ることが定められている。応永六年(一三九九)八月二八日、稲村いなむら御所(現須賀川市)の足利満貞は「高野北郷内大多和」などを御料所として、結城満朝に預け置いた(「足利満貞預ケ状」安保文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む