大竹 せい(読み)オオタケ セイ

20世紀日本人名事典 「大竹 せい」の解説

大竹 せい
オオタケ セイ

大正・昭和期のジャーナリスト 日ソ協会常任理事。



生年
明治24(1891)年2月1日

没年
昭和46(1971)年1月15日

出生地
長野県

旧姓(旧名)
吉田

学歴〔年〕
松本高女卒,日本女子大学国文科〔大正3年〕卒

経歴
長野県立松本高女を経て、大正3年日本女子大学卒業後、「国民新聞」記者となり7年間勤務。9年大竹博吉と結婚、同時に夫が日ソ記者交換でウラジオストック駐在となり同行、12〜14年モスクワ駐在するなどソ連に7年間滞在、帰国後も往来し、昭和4年「女人芸術」(2巻7号)に「夏のクリミヤ ロシア見聞記」を、次号に「道化役者入獄」を寄稿するなどソビエト社会の状況を伝えた。帰国後は婦選獲得同盟、新日本婦人同盟、日本婦人記者クラブなどで活躍、「社会評論」などにも執筆した。6年ソビエト図書輸入の商社・ナウカ社を夫が設立、これに協力するが、11年当局により閉鎖させられた。戦後は、20年日本共産党に入党、ナウカ社を再興した夫と共に働く一方、日ソ親善協会(のちの日ソ協会)常任理事、日ソ婦人懇話会副会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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