日本歴史地名大系 「大篠塚村」の解説 大篠塚村おおしのづかむら 千葉県:佐倉市大篠塚村[現在地名]佐倉市大篠塚・山王(さんのう)一―二丁目太田(おおた)村の南、鹿島(かしま)川右岸に位置。郷之台(ごうのだい)が村の中心にあたる。千葉に至る道が通り、西の山梨(やまなし)村(現四街道市)で臼井(うすい)に向かう道を分岐する。中世は印東(いんとう)庄のうちで、篠塚と史料にみえ、小篠塚(こしのづか)も含んだとみられる。「寛文朱印留」に佐倉藩領として村名がみえ、以後幕末まで同藩領。元禄郷帳では高四二六石余。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚によれば高四二九石余、夫役永一貫二四五文・山銭鐚九六八文・野銭永一貫二六三文。享和期(一八〇一―〇四)の佐倉七牧付村々高帳などによれば柳沢(やなぎさわ)牧の牧付村で、勤高四二九石余。安政五年(一八五八)の佐倉藩領村高家数等覚(高橋家文書)では家数三〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by