日本歴史地名大系 「篠塚」の解説 篠塚しのづか 千葉県:佐倉市大篠塚村篠塚現佐倉市大篠塚(おおしのづか)・小篠塚(こしのづか)一帯に比定される中世地名で、印東(いんとう)庄のうち。平安時代末期の下総国印東荘郷司村司交名(醍醐寺本「醍醐雑事記」七・八裏文書)に「篠塚調道清」とみえ、調道清が当地の郷司もしくは村司であった。建長二―三年(一二五〇―五一)頃と推定される一〇月一〇日の胤氏書状(中山法華経寺蔵「天台肝要文」紙背文書)に六崎(むつさき)と並んで篠塚とみえ、胤氏は京都蓮華王院(三十三間堂)造営用途として賦課された六崎・篠塚分の三貫八〇〇文のうち、まずは三貫二〇〇文を進上するとしている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by