天啓帝(読み)てんけいてい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「天啓帝」の意味・わかりやすい解説

天啓帝
てんけいてい
(1605―1627)

中国、明(みん)の第16代皇帝(在位1620~27)。姓名は朱由校。諡(おくりな)は悊(せつ)皇帝。廟号(びょうごう)は熹宗(きそう)。15代皇帝泰昌(たいしょう)帝の子。祖父は万暦(ばんれき)帝。母は選侍(せんじ)王氏(孝和皇太后)。即位前後に、挺撃(ていげき)(1615年、皇太子、後の泰昌帝暗殺未遂事件)、紅丸(泰昌帝が紅(あか)い丸薬を飲んで死亡)、移宮(天啓帝の養育にあたっていた李(り)選侍を貴妃に昇格させたが、反対する官僚が別宮に移す)という三つの事件(三案)をめぐって、東林・非東林の党争が激化し、国論が沸き上がった。帝は木工、漆工などの逸楽にふけり、政治を側近宦官(かんがん)魏忠賢(ぎちゅうけん)にゆだねたので、悪名高い宦官専横を招き、東林派の大弾圧が行われた。遼東(りょうとう)の満洲族、山東の白蓮(びゃくれん)教徒徐鴻儒(じょこうじゅ)、四川(しせん)の少数民族奢(しゃ)氏らの反乱が続発した。

[川勝 守]

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