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魏忠賢 ぎちゅうけん Wei Zhong-xian; Wei Chung-hsien

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

魏忠賢
ぎちゅうけん
Wei Zhong-xian; Wei Chung-hsien

[生]?
[没]天啓7(1627).鳳陽
中国,明末の宦官。河北粛寧 (河北省河間県) の人。少時より無頼の徒で,賭博に負け去勢されて宦官となった。熹宗 (天啓帝) の乳母客氏と通じ,熹宗即位後はその寵を受け,司礼秉筆 (へいひつ) 太監 (宦官の最高職) となり,権勢をふるった。

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デジタル大辞泉の解説

ぎ‐ちゅうけん【魏忠賢】

[1568~1627]中国、明(みん)末の宦官(かんがん)。16代皇帝天啓帝(てんけいてい)の下で権勢をふるい、東林党を弾圧して全盛期を誇るが、17代皇帝の崇禎帝(すうていてい)が即位すると弾劾を受け失脚、自殺した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎちゅうけん【魏忠賢 Wèi Zhōng xián】

?‐1627
中国,明末の宦官。無頼の出身で賭博に負けて宦官となったが,熹宗(在位1621‐27)が立つと司礼監秉筆(へいひつ)太監(宦官の最高職)となり,東廠(秘密警察)を兼督して政務を専断し,権勢をふるった。当時は東林党と非東林党の政争がはげしかったが,彼は東林党を弾圧し,《三朝要典》をつくってその言動をきびしく取り締まった。しかし毅宗が立つと弾劾されて自殺し,死後さらに磔刑(たつけい)となった。【谷 光隆】

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大辞林 第三版の解説

ぎちゅうけん【魏忠賢】

?~1627) 中国、明末の宦官。無頼の出身で宦官となり、天啓帝のとき権力を振るい、東林党を弾圧したが、崇禎帝が立つと失脚して自殺。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

魏忠賢
ぎちゅうけん
(?―1627)

中国、明(みん)末の宦官(かんがん)。河北河間の人。年少から無頼漢で、賭博(とばく)に負けたので宦官となった。天啓帝の乳母客(うばきゃく)氏と私通し、天啓帝が即位するとその寵(ちょう)を得、まったくの無学にもかかわらず司礼秉筆太監(しれいへいひつたいかん)(宦官の最高職)となった。当時、東林党・非東林党の政争が激しく、非東林党は自衛のために魏忠賢と結び、卑劣な手段をもって東林党の弾圧を図った。忠賢はまず東厰(とうしょう)(秘密警察)を兼督して政治を専断し、口実を設けては東林派を投獄し政治から追放した。やがて粛寧(しゅくねい)侯に封ぜられると、スパイを放って暴威を振るい、宮廷の実権を握った。そのため在廷の官僚は、その下風にたっておもねる者が多く、ついには彼を生神として祀(まつ)る者も現れ、全国各所に彼の生祠(せいし)が建てられた。しかし、1627年、天啓帝が崩じ崇禎(すうてい)帝が即位すると、彼を弾劾する者が全土に満ち、ついに自ら縊死(いし)した。死後さらに磔刑(たっけい)に処せられ、愛人客氏は笞刑(ちけい)で殺された。[川越泰博]

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世界大百科事典内の魏忠賢の言及

【宦官】より

…その根城は宮中の宦官24衙門で,多いときには数万人の宦官がいたというが,とくに司礼監太監(宦官の最高位職)は内閣の首席大学士よりも権力が強く,軍事,警察,司法もまたその手ににぎられた。その代表的なものは王振,劉瑾魏忠賢らである。しかし,明代にはすでに天子の独裁権が確立していたので,宦官は天子を後ろだてとしてだけ権力があり,いったん天子の信頼を失えばただちに失脚するので,この点は漢・唐と異なっている。…

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