デジタル大辞泉 「山東」の意味・読み・例文・類語
さんとう【山東】[地名]
2 中華人民共和国の航空母艦。遼寧2を参考にしつつ建造した初の国産空母で、2019年12月就役。
南北朝期からみえる日向国内の地域呼称。主として
応永元年(一三九四)島津元久の軍勢は都城に向かい、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国、華北地区東部沿岸の省。略称は魯(ろ)。面積15万6700平方キロメートル、人口8975万4623(2000)。省都は北西部の済南(さいなん/チーナン)市で、そのほか青島(チンタオ)、淄博(しはく/ツーポー)など17地区級市があり、それらのなかに31県級市、61県を含む(2001現在)。
西部は黄河(こうが/ホワンホー)下流の広い沖積平野で、華北(かほく/ホワペイ)平原の一部をなす。黄河は北西部を北東流し渤海(ぼっかい/ポーハイ)に注ぐが、古来、何度も河道を変えたため、長い堤防状の旧河道が発達する。また、魯運河すなわち大運河が北上し、南には南陽湖、独山(どくざん)湖、微山(びざん)湖など一連の湖がある。中部は泰(たい)山、沂(ぎ)山、蒙(もう)山などの魯中山地で標高は平均500メートル、最高峰泰山は1524メートルである。小清河(しょうせいが)、泗河(しが)、沂河などの水源地でもある。石灰岩が覆うため、頂上の平坦(へいたん)な山地や済南の突(ほうとつ)泉などのカルスト泉がみられる。東部は山東(膠東(こうとう))半島で北東に延び、渤海と黄河を分ける。標高500メートル以下の起伏の緩やかな丘陵が続き、山間盆地も多い。海岸線は複雑で湾が発達する。西部は夏高温、冬寒冷で降水量がやや少なく、春は乾燥傾向が強い。中部、東部は比較的温暖湿潤で、とくに半島南部は温和な海洋性気候を示し、保養地もある。
農業はほとんどが小麦、コウリャンを柱にした二年三作制である。黄河の旧河道ではラッカセイや大豆の一年一作制もみられる。商品作物はワタ、タバコが主である。ワタは西部の徳州(とくしゅう/トーチョウ)、聊城(りょうじょう/リヤオチョン)市などが黄河流域ワタ作地帯の主産地である。タバコは益都(えきと)が栽培中心地で、河南(かなん/ホーナン)省に次ぐ生産量を誇る。東部の山間盆地では柞蚕(さくさん)による繭(まゆ)生産やナシ、リンゴなどの果樹栽培も盛んである。ただ、西部の平原部では、冠水、土壌のアルカリ、塩類土化や干害を受けやすいため、堤防工事や土壌改良が絶えず行われている。沿岸部では漁業や製塩が活発で、青島、煙台(えんだい/イエンタイ)など良港が多い。淄博や棗荘(そうそう/ツァオチュワン)では炭田が分布し、粘結性炭が製鉄に利用される。金嶺鎮(きんれいちん)、即墨(そくぼく)などの鉄、招遠(しょうえん)の金のほか、ボーキサイトなど鉱物資源は多い。淄博の陶磁器、ガラス、済南の刺しゅうなどの伝統的手工業や在来軽工業に加え、青島、済南、淄博などでは、鉄鋼、機械などの近代工業が発達している。
春秋時代には魯(ろ)や斉(せい)など、戦国時代には斉や楚(そ)などに属し、古くから開発された。金代に初めて「山東」の名が使われ、東路、西路が置かれた。清(しん)代には山東省になったが、1898年にドイツが膠州(こうしゅう/チヤオチョウ)湾を租借、のち日本が占領し、半植民地化の直接の舞台となった。京滬(けいこ)、膠済(こうさい)鉄道を基礎に支線や自動車道が四通八達し、航路も開けている。
[駒井正一]
滋賀県北東部、坂田郡にあった旧町名(山東町(ちょう))。現在は米原(まいばら)市の中部を占める地域。旧山東町は、1955年(昭和30)柏原(かしわばら)、東黒田、大原の3村が合併して成立。2005年(平成17)伊吹(いぶき)、米原(まいはら)の2町と合併して米原市となった。旧町名は、坂田郡を東西に分けていた横山の東に位置することによる。中央部を天野川、北部を姉川が流れる関ヶ原地峡部に位置し、北は伊吹山(いぶきやま)、南は鈴鹿(すずか)山脈、西は横山に囲まれた農山村。古代から東西交通の要地として重要視され、近世には中山道(なかせんどう)が通じ、伊吹艾(もぐさ)でも有名な柏原宿が繁栄した。現在も北から国道365号、JR東海道本線、国道21号、名神高速道路が通じる。特別天然記念物に長岡のゲンジボタルおよびその発生地、国指定史跡に、1332年(元弘2)この地で斬首(ざんしゅ)された南朝方の臣北畠具行(きたばたけともゆき)の墓、北近江(おうみ)の守護京極家の墓所(清滝寺)がある。
[高橋誠一]
『『山東町史』全3巻(1986~1991・山東町)』
兵庫県東部、朝来郡(あさごぐん)にあった旧町名(山東町(ちょう))。現在は朝来市の東部を占める一地区。三方を山に囲まれた山東盆地にあり、地名もそれに由来する。旧山東町は1954年(昭和29)梁瀬(やなせ)町と粟鹿(あわが)、与布土(ようど)の2村が合併して成立。2005年(平成17)朝来、生野(いくの)、和田山(わだやま)の3町と合併して市制施行、朝来市となる。西流する与布土川の沖積低地に水田が分布する。古くから絹織物、酒造業が発達し、JR山陰本線、国道9号、312号、427号が通じる交通の要地であることから、近年工業誘致に成功した。メリヤス織のグンゼ(株)と関連工場が多い。朝来群山県立自然公園の主峰、粟鹿山(962メートル)は眺望に優れ、山麓(さんろく)に県立「青年の山」、粟鹿神社がある。
[二木敏篤]
『『山東町誌』全3冊(1984~1992・山東町)』
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中国本土の北部を東西に分け,山西と対照させて用いる語。その基準となる山は,古くから華山(陝西省),崤山(こうざん)(河南省)と太行山(太行山脈)の三つがある。戦国時代には崤山が秦と六国との境界だったので,その東を秦の方から山東といった。漢代では華山を東西の境界とするのが普通だったらしい。太行山が基準とされたのも古いが,その山の東という意味で今日の山東省が成立したのは明代からである。
執筆者:日比野 丈夫
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…東国が畿内を中心とする国家の支配下に名実ともに組織されたのは,逆にこれ以後ということもできるのである。 東国にも東北北半を除いて国郡制が一応貫徹し,天武朝以後,伊賀以東の東海道,あるいは美濃以東の東山道を〈東国〉とする呼称が新たに用いられるようになり,三関以東は〈関東〉,関東・東北地方は〈坂東〉〈山東〉と呼ばれた。しかしすでに古墳時代,毛野(けぬ)氏などの自立的な勢力を生み出した東日本の社会は,律令国家の支配下にそのままとどまってはいなかった。…
…中世では東山道の,近世では中山道の宿駅名で,現在の滋賀県坂田郡山東町柏原にあたる。伊吹山地と鈴鹿山脈との地峡部にあり,東国に抜ける際の不破関の手前の宿駅であることから,軍事・交通上の要所であった。…
※「山東」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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