天生田村(読み)あもうだむら

日本歴史地名大系 「天生田村」の解説

天生田村
あもうだむら

[現在地名]行橋市天生田

流末りゆうまつ村の南、いま川西岸、うまヶ岳北麓の丘陵上に立地する。秋月街道から香春かわら(現香春町)で分岐して国作こくさく(現豊津町)築城ついき(現築城町)を経て中津街道に接続する東西の道と、中津街道の大橋おおはし村から花熊はなぐま村・山鹿やまが(現犀川町)などを経て秋月(現甘木市)に至る南北の道が通る。中世天生田庄の遺称地。元和八年人畜改帳に村名がみえ、給人三人分の高八二七石余、家数四二・人数六八(うち庄屋一・山ノ口一・百姓四・名子等二一)、牛一一・馬三。郷村高帳では高八七七石余、うち新田高四九石余。旧高旧領取調帳では高八八三石余。定免制施行後の年貢率は三八パーセント(嘉永五年仲津郡本田畑御勘定帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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