天生田庄(読み)あもうだのしよう

日本歴史地名大系 「天生田庄」の解説

天生田庄
あもうだのしよう

いま川の左岸、現大字天生田一帯に比定される庄園。初め天雨田と記され、文明(一四六九―八七)頃から天生田と記される。古くから交通の要衝に位置し、古代の官道が庄内を通り、かつての豊前国府に至る。また今川を下ればたやすく周防灘へ抜けることができる。南側は飯岳いいだけ(大坂山)から西へと延びる山塊が続き、当庄の南西にはうまたけ(現犀川町)があり一帯を睥睨している。延慶三年(一三一〇)六月日の因幡彦鶴代兼実申状(本間文書/皇学館大学紀要三六)によれば、天雨田庄公文の次郎憲行は田川郡あか(現赤村)内に田畠屋敷を所有しており、赤庄地頭因幡彦鶴代兼実と相論している。当庄公文職は憲行より行政を経て、元亨三年(一三二三)には北条得宗家被官の安東鶴益丸に譲られており(同年六月二二日「安東助泰書下」同文書)、得宗領となっていた。当庄は鎌倉幕府滅亡により没収されたと推定され、元弘三年(一三三三)一二月に宇佐大宮司到津公連は「天雨田内岡本田六反・畠地・荒野等」ほかを宇佐宮大楽だいらく寺に寄進している(「宇佐公連寄進状案」大楽寺文書/鎌倉遺文四二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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