日本歴史地名大系 「中津街道」の解説 中津街道なかつかいどう 福岡県:総論中津街道豊前国小倉から中津を結ぶ街道で、さらに豊後国日田や府内(ふない)(現大分市)につながる道でもある。別名は中津往還・中津道・豊前街道・小倉道など。元禄豊前国絵図では小倉城下―中津口(なかつぐち)村―黒原(くろばる)村(現北九州市小倉北区)―曾根(そね)村(現北九州市小倉南区)―苅田(かんだ)村(現苅田町)―大橋(おおはし)村(現行橋市)―椎田(しいだ)村(現椎田町)―松江(しようえ)村―八屋(はちや)村―沓川(くつがわ)村(現豊前市)などを経て仲津(なかつ)(中津)城下に至る。慶応三年(一八六七)の小笠原家法度書(旧「福岡県史」)は、小倉城仲津口門より曾根―苅田―大橋を経て中津に通じる街道を中津往還とする。同期の豊前小倉領図(小笠原文庫蔵)には中津道と記され、苅田―椎田―八屋が宿駅として描かれる。元禄七年(一六九四)四月に貝原益軒は名所旧跡巡りの旅に出て、福岡から香春(かわら)(現香春町)を経て豊前・豊後各地を巡り、往路では椎田―松江―高田(たかた)(現豊前市)―高瀬(たかせ)(現大分県中津市)を経て豊後の別府、府内城下(現大分市)を訪れ、復路は中津城下―小今井(こいまい)(小祝、現豊前市)―八屋―椎田を利用した(豊国紀行)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by