太一垣村(読み)たいちがきむら

日本歴史地名大系 「太一垣村」の解説

太一垣村
たいちがきむら

[現在地名]赤碕町太一垣

佐崎さざき村の西、くろ川中流右岸に位置し、立子谷たつこだにに属した。拝領高は二七五石余、本免は五ツ八分。竹運上銀三〇匁を課されており(藩史)、鵜殿氏・松尾氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」には「太市垣村」とみえ、高三三〇石余、竈数三一。幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高二九六石余、竈数二二。底筒男命・中筒男命・表筒男命を祭神とする国石くにし大明神は当村・なか村の総産土神で、明治元年(一八六八)立子たつこ神社と改称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android