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川合清丸 かわい

美術人名辞典の解説

川合清丸

明治時代の社会教育家・大神山神社権宮司。号は如々・一如・山陰道士等。父は正敬。伏見・大阪に遊学した後、神儒仏三道をひとつにした国教を理想とする日本国教大道社を創立、月刊『大道叢誌』を発行し、国家主義者の中心勢力となった。大正6年(1917)歿、70才。

川合清丸

社会教育家。鳥取県神官の子として生まれ、幼より神道を学ぶ。のち遊学して鳥尾得庵に従い、神儒仏を融合統一する尊王愛国主義を唱えて国教大道社を創立、国家主義の一代勢力となった。大正6年(1917)歿、70才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川合清丸 かわい-きよまる

1848-1917 明治-大正時代の宗教家。
嘉永(かえい)元年11月21日生まれ。家職をついで太一垣神社社掌となる。のち東京で鳥尾小弥太に師事,神儒仏統一の国教創定をとなえた。明治21年日本国教大道社を創立し,雑誌「日本国教大道叢誌」を発行。大正6年6月24日死去。70歳。伯耆(ほうき)(鳥取県)出身。字(あざな)は子徳。号は山陰道士。

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朝日日本歴史人物事典の解説

川合清丸

没年:大正6.6.24(1917)
生年:嘉永1.11.21(1848.12.16)
明治時代の神道家。伯耆国河村郡(鳥取県東伯郡)の神官の家に生まれる。長じて出郷し京阪と東京で儒仏学を研鑽する。日本国教社大道社を設立(1888)し,機関誌『日本国教大道叢誌』を刊行するとともに,大道学館を開設して青年の育成にも当たる。神儒仏の三教一致説を説き,三道が合して大道という。<参考文献>小谷恵造『川合清丸とその周辺』

(中野実)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川合清丸
かわいきよまる

[生]嘉永1(1848).11.21. 伯耆
[没]1917.6.24. 相模
明治の社会教育家。字は子徳,諱は清丸,山陰道士,一加,惺々などと号した。代々太一垣神社の社掌で幼いときから神儒の学を修め,真教塾を創立して子弟を教育した。伏見,大坂などで儒学仏典,キリスト教学などを学び,神儒仏三道一致を唱える。この三道は国家の根本精神とすべき教学,国民必須の学問であるとし,国家主義者の中枢となる。 1888年日本国教大道社を創立し,月刊『大道叢誌』を発行して所説を主張した。著書には『大和魂』『建国之大本』その他があり,『川合清丸全集』 (10巻) に収められている。

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