20世紀日本人名事典 「太田裕祥」の解説 太田 裕祥オオタ ヤスヨシ 昭和・平成期の医師 中京病院名誉院長。 生年大正4(1915)年4月14日 没年平成3(1991)年8月12日 出生地東京 学歴〔年〕名古屋帝国大学医学部〔昭和16年〕卒 学位〔年〕医学博士〔昭和22年〕 主な受賞名〔年〕勲三等端宝章〔昭和62年〕 経歴名大皮膚科泌尿器科に入局。昭和22年中京病院皮膚泌尿器科部長となり、38年同病院副院長、49年院長を歴任。三菱女子バスケットボールチーム監督もつとめ、35年には世界選手権にも出場。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田裕祥」の解説 太田裕祥 おおた-やすよし 1915-1991 昭和-平成時代の皮膚科・泌尿器科医。大正4年4月14日生まれ。昭和22年中京病院皮膚泌尿器科部長,49年院長。全国に先がけて透析センター,熱傷センターを開設した。平成3年8月12日死去。76歳。東京出身。名古屋帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by