太田部村(読み)おおたぶむら

日本歴史地名大系 「太田部村」の解説

太田部村
おおたぶむら

[現在地名]吉田町太田部

神流かんな川の南岸の山間地に位置し、南は石間いさま村、北は神流川を境に上野国坂原さかはら(現群馬県鬼石町)、西は同国麻生あそう(現同県万場町)、東は矢納やのう(現神泉村)。大田部とも記す。慶長三年(一五九八)四月の地詰帳(新井家文書)に「武州秩父郡太田部之郷」とみえ高一五貫五八一文。田園簿では高七七石余・此永一五貫八一文とある。なお「郡村誌」によれば天和三年(一六八三)から一時児玉郡に属し、元禄二年(一六八九)再び秩父郡に属するようになったといい、天和三年の村鑑帳(新井家文書)には「武州小玉郡太田部村」とある。初めは幕府領、寛文一一年(一六七一)奏者番兼寺社奉行戸田忠昌領となり、延宝四年(一六七六)幕府領に復する。明和二年(一七六五)旗本松平領となり、同領で幕末に至ったと思われる(「風土記稿」「寛政重修諸家譜」「郡村誌」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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