小鹿野(読み)おがの

改訂新版 世界大百科事典 「小鹿野」の意味・わかりやすい解説

小鹿野[町] (おがの)

埼玉県西部秩父郡の町。2005年10月旧小鹿野町と両神(りようがみ)村が合体して成立した。人口1万3436(2010)。

小鹿野町北東部の旧町。群馬県に接する。秩父郡所属。人口1万2043(2000)。秩父盆地北西にあり,荒川の支流赤平川が東流する。町の東部は秩父盆地,ほかは秩父山地山間を占める。中心集落の小鹿野は赤平川の谷口集落で,江戸時代には絹の取引が行われた市場町であった。志賀坂峠をこえて上州に通じる国道299号線沿いに町並みが発達し,西秩父の行政・商業の中心となっている。1970年代,電気部品,精密機器などの中小工場がふえ,一時的に人口減少に歯止めがかかったが,近年再び減少してきている。農業ではキュウリミツバなどの野菜やシイタケの生産が行われる。近年,秩父三十四所札所めぐりやハイキングを中心に,行楽客の誘致が図られている。

小鹿野町南西部の旧村。秩父郡所属。人口3018(2000)。秩父山地の山間にあり,西端両神山(1724m)がそびえる。東流する薄(すすき)川,小森川の谷沿いに集落が点在する。村域の大部分は山林である。コンニャクイモ,シイタケの栽培に加え,ブドウ栽培も行われ,ブドウ酒を醸造する。両神山や御岳山(1080m)には多くの登山客が訪れ,小森や薄にはフクジュソウの野生群落がある。1960年代以降人口流出が続き,過疎地域指定を受けている。西部の両神山麓一帯は秩父多摩国立公園に属する。甲源一刀流の逸見氏の練武道場がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小鹿野」の意味・わかりやすい解説

小鹿野(町)
おがの

埼玉県西部、秩父郡(ちちぶぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)長若(ながわか)村、1956年三田川(みたがわ)、倉尾(くらお)村と合併。2005年(平成17)秩父郡両神村(りょうかみむら)を合併。秩父市から国道299号が通じ、志賀坂(しがさか)峠を越えて群馬県に至る。東部は秩父盆地北西部にあたる丘陵性の地域、西部は秩父山地で、南部を薄(すすき)川、小森川、北部を赤平(あかびら)川が流れる。秩父多摩甲斐国立公園、県立両神自然公園、県立西秩父自然公園に含まれる。中心の小鹿野地区は、赤平川の谷口集落で、江戸時代から市場町として栄えた。また、かつては埼玉県における養蚕の主要地でもあった。現在はキュウリの産が多く、またカキ、クリやコンニャクの生産、花卉(かき)栽培が盛ん。各地に精密機器の小工場がある。12月15日に行われる飯田八幡(いいだはちまん)神社の鉄砲祭は有名である。県の無形民俗文化財に指定されている小鹿野歌舞伎(かぶき)も知られている。北東部に古い地層が露出した「ようばけ」と「おがの化石館」がある。面積171.26平方キロメートル、人口1万0928(2020)。

[中山正民]

『『小鹿野町誌』(1976・小鹿野町)』


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百科事典マイペディア 「小鹿野」の意味・わかりやすい解説

小鹿野[町]【おがの】

埼玉県西部,秩父郡の町。赤平川上流域の山地,丘陵地を占める。中心市街は近世の市場町で,現在も西秩父の商業中心である。キュウリ,ミツバなどの施設園芸,シイタケ,シメジなど林産物の生産を行う。電気,機械などの製造業も盛ん。西端に両神山がある。2005年10月秩父郡両神村を編入。171.26km2。1万3436人(2010)。

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